05. 暮らし

2010/12/27

≫ 水道管が凍る

【2010年12月26日】
水道管の配管が凍って破裂しました。
破裂したところから、水がもれ続けています。
ピンチです。

家の外にある、おおもとの水道栓を閉めにゆきました。

Nads58411
山肌が、こちらをみて、何かぶつぶつ言っているような気がしました。

Nads58421
こたえて、こちらも、ちょっとだけぶつぶつ。。と返しておきました♪

**

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2010/12/01

049.心のほどけるポイントはどこにあるのだろう?

【2010年9月10日】

皆さんは、片付けたりするの、得意ですか?

私は、なるべくなら整った状態にしたい、と思うことが多いのですが、すぐに散らかってきてしまいます。散らかったままだと、もろもろが乱れてくるそうです。

時々は、手入れの行き届いたお庭などをみせてもらったりするのはどうでしょうか。

Pads_3612

Pads3624

目の保養になりますか。
あるいは、きれいすぎると、几帳面だという感じがしてきますか。

心のお洗濯、といえばこれですね。
Pads3615

ふだん、車に乗って移動しているなかでは、ゆっくり目をむけることのできないものを見てみようと思いました。

Pads_3577
この花。。勝手に生えてきたような花でありながら、よくみると、ガードレール沿いにずっと咲いていますね。誰かが植えて育てたのかな? ‥しかし、どうやって水をやるのだろう?  無造作な表情をしてもいますね。‥

**
里山について書かれた本をみていたときに、「里山というもののうえには、一番みていて心のやすまる光景があるものだよ」といったことが書かれていました。野生の大自然でもない。庭のように造られた世界でもない。人間が自然とかかわるなかで、自然のものと人工のものの絶妙な配合を追求した果てに展開する光景が、里山なのだそうです。

私は、このブログのなかで、かなりの割合で、活動報告のなかに、景色の写真をおりまぜています。ここには、ある面での「修行」があると思っています。

初めて小代にきたときに、ぱっと見て、どこが耕作放棄地で、どこがいまも手入れのされている田畑であるかが、見分けがつかなかった。しかし、谷の奥の奥の奥で、あじさいの植え込みのあるのをみたときに、やっぱり人の手が入っていると感じた。

人の手でつくられ、完璧につくりこまれたものは美しいが、ずっと見ていると疲れてしまうことがある。野放図にのびっぱなしのものを目にすると、怠惰心をいましめられるように感じる。

どこで自然の流れに寄り添って、どこで、自然とは反対の向きに切ってやればいいのだろう?

村の人は、長年この地で暮らすなかで、天候に左右され、寒さやサルたちに翻弄され、しかし収穫したいものを収穫し、育てたい牛を育てて暮してこられたようです。そんななかで、自然とのつきあいかたを、いやでも習得されているわけです。すぅっーっと流れるように仕事を始め、絶妙な配分になるポイントで、仕事をやめるわけです。


この暮らし方、当たり前のことのようで、実は、当たり前ではない、

人の社会活動一般は、目的があったり計画をたてたりして、ゴールを思い描くじゃないですか。

そして、ゴールに向かって動いてみて、結果どうだったかを、当初思い描いていた見通しと比較をし、評価をしたりするじゃないですか。2000円もうかるはずだったが、100円の赤字になっちったなぁー、とか。それで、次回はもっとこうしよう、とか考えたりするじゃないですか。


この態度と、里山での暮らしとでは、同じ部分もたくさんあるかもしれないが、どこかが決定的に違う。そんな風に思うときがありました。

「雨が降ってきて作業に出られなかったけど、結局、今日はそれでよかったんだわ」「怪我をして病院へ運ばれてしまい、書類の提出ができなかったようだけど、行きつけの病院ができてよかったじゃない」‥こんな言い方をするときがありますね。


ちょっと不思議な感じがしませんか。
「前向きに受けとめてるところがいい~」とかの話とは少し違う関心です。
前向き(ポジティブ)思考であるかどうかは、あまり関係がありません。
結果的にたどりついたところから、逆に見つめ返されているような目線がそこにはあります。
そして、この目線は、実は、はじめから、最初に目標をたてたりゴールを決めて動き出したときの「動機」とはまったく関係のないくらいの遠いところから注がれています。

一般的な仕事のすすめかたを考えると、「それでも作業には出ないといけない、今日がだめなら次はこれこれの日に。。」ですとか「それでも、書類が提出できなかったことで生じた損失をカヴァーしなければいけない」といった関心に沿って、あらたに動きを計画し、当初の動機を貫き通さなければいけません。「雨天」や「怪我」は、偶発時であり、障害要素であり、これにあったからには、別の手段をつかって、当初の目標を達成する必要があるわけです。

これと比べたときに、上の言い方をするときに漂う、不思議な雰囲気は、≪「雨天」や「怪我」に遇うということを通じて、それがゴールであったかのように、出発点を逆算しているような思考が開始されている≫ところから来るものである、とわかります。

「雨天」や「怪我」が天意であるなら、それに沿う、という言い方をする人もいるかもしれません。その「結果」の地点から逆にみつめ返される視線のなかでは、当初抱いていた目標や計画や動機が、どちらでもよかったものであるようにみえるくらいに遠くに置かれてしまう、その遠い地点(天)に往ってしまえるところが、不思議なわけです。

これは、自然を相手にした(農業や林業の)取り組みをするときに感じられる、人間の有限さ、ちっぽけさ、ということでしょうか。‥いんや、言葉でいってもしようがありません。

里山に暮らす人々の営みをつうじ、毎日のように産み出されているらしい、その絶妙な配合のものに関心を抱きはじめた、ということでしょうか。≪作業を始めるときの動機。たどりついた先でいつのまにかどこかへ脱ぎ捨ててしまわれたはじめの動機。つねにちょうどのポイントにいるのだ、というイメージを抱かせてもらえる、不思議な逆算の目線。そんな足取りの積み重ね。≫ この関心についても、どこかで脱ぎ捨てたら、私は、ちょうどのポイントへたどりつけるのでしょうか?!?
**

長々書いてしまいました。

さっきのオレンジの花。

あとあと各氏にお話をうかがってみると、あの花には、育ての親がいて、とても長い長いホースを使って、水やりをしに来られているのだよ、とのことでした。そして、そのホースも(盗まれたのかどうかわからないが)今ではどっかへ行ってしまったらしいのでした。

黄金のバランスを漂わせた花づくりのうらには、ホースあり、ですか!

私も、うまく片付いた、と思える地点にたつクセをつけるためにも、学ばなくちゃ☆


| | コメント (0) | トラックバック (0)

044.猛暑と酷暑と残暑は、一瞬にして去る。

【2010年9月4日、9月5日】
あついのでした。

Pads3456
高原のほうへあがると少し涼しげなのでした。

Pads3464
河川敷の田んぼも、暑そうにしていました。

Pads3440
バテるとヤバい、と思い、おじろんのそば屋さんへゆきそばを食べました。

【2010年9月24日】
小代俳句教室の句に、

  • カフェテラス一人ですかと鬼やんま

というものがありました。
実山のひとの句でした。
だいぶ涼しくなってきました。

新屋オフィスの玄関前(日照時間が短い)では、肌寒ささえ感じることも。

【2010年11月11日】
しょうこさんが

  • 薪喫茶 マスターは尼僧の聞き役に

という句をよんでおられました。

マチ子さんが

  • 矢印に添って病棟 冬に入る

とよんでおられました。

だいぶ寒くなりました。

【2010年11月12日】

一郎さんのところの、山椒の苗木を運ぶお手伝いをしました。

しょうこさんが、村岡の、店内に薪ストーブのある喫茶店へ連れていってくれました。

Pads4756

鬼やんまが飛んできたのはそこの外の席に座っていたときだ、一人でカフェへ来てそわそわしていたときのことだった、と話してくれました。

【2010年10月18日】

  • 立ち寄りし蜻蛉のことづけ聞きもらす

Pads4156

一瞬の出来事と、ふわっとした余韻。
いいですね!

| | コメント (0) | トラックバック (0)

039.雲にかこまれる暮らし。黒い土のある暮らし。

【2010年8月23日】
一二峠より神場・猪谷へ。
のぶよしさんに教えてもらった峠ごえのルートを、村岡病院の帰りに走ってみました。

Nads_3197
またしても、水墨画のような山並みが遠く連なります。

‥というか、「遠く」しかみられません。近くは、崖がこわくて足がすくむのでした。

Nads_31931
なんでも、霊験のいわれのある、聖域なのだそうです。

ちょっと見にくいかもしれませんが、次の画像は大きく掲載します。
Nads_32051 写真の左端に家の屋根がみえますね。それから真ん中あたりにも家があります。
真ん中あたりの家の少し向こうの遠くにも家があります。

この日は景色としてしか見ていませんでしたので、わかりませんが、
これらの家のあいだには、山林があったり、崖(谷)があったりで、家のあいだの行き来するのが容易でないような感じがしませんか?

春来峠の春来集落ほどではないかもしれませんが、ここ神場(かんば)も、かなり高台にある集落です。

のちにくにとしさんに教えてもらった話によれば、このあたりの地区も、世帯数が減っており、むらとして色々と困っている(あるいは課題を抱えておられる)集落なのだそうです。

のちにたかしさんに教えてもらった話によれば、実山地区にゆかりのあるひとのお墓が、この地区にあるそうです。

のちにだいすけさん(だったかな)に教えてもらった話によれば、このあたりに住んでおられる方には、「上治」さんと「林本」さんという姓の方が多いそうです。

どちらの姓も、小高い岡の上に住まう家なので、(かつて)そう名乗るならわしとなったのではないだろうか、と言われているそうです。

‥そして、猪谷エリアの近くまで降りてきました。
Nads_32061
屋根の上に屋根がある?? 屋根の下から屋根を引き出して張り出した??
ユニークなスタイルですね。

そして、普通の景色のようで、何かが違う、と思って車をとめました。
Nads_3207
土が黒い!

このような黒い土は、後に、日高の神鍋高原の近くの、栗須野というエリアを通ったときの畑でもみられました。畑で作業をしていた人にたずねてみたところ、土が黒いのは、火山活動に起因することなのだそうです。(地元のひとは「くろぶく」と呼んでいるのだったかな。)
1万年以上も前の火山の活動のせいだ、とお話をされていたのだったかな。
‥さすがジオパークに認定された海岸を擁するエリアです。(神鍋高原のあたりは、滝も多いらしく、まさに、地球の活動の活発さに起因する地形が満載になっている様子です。)
そこに住んでいる人が、普通に、土地の成り立ちなどを知っておられるのがすごいですね。

Nads_32091黒い土と白い雲。

Nads_32121
畑のなかに、運送会社の荷台部分(の箱)がおいてありました。
倉庫代わりなのかな。
さすがに、この箱は、一万年前の地球の活動と関係がないでしょう。

たずねてみようと思ったのですが、誰もいませんでした。



| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010/11/30

025.たけのさん

【2010年8月6日】
Nads_27601ご近所のたけのさんのお宅をお邪魔しました。
たけのさんは、お借りして私が住んでいる家の家主さんにとって、いとこにあたる方。
空き家になっていた近所の家に、住む人が来た、ということで、誰よりも喜んでいるひとだ、とお聞きしていたので、あらためて挨拶にゆきました。

キュウリに塩をして食べる、というのが、昔から食卓ではなじみのメニューであった、と教えてもらいました。

新鮮な野菜や果物をいただいているときに、奥の間に色紙がたてかけられてあるのが目に入りました。
色紙には、
 「ふりむくなよ
   前をみて
    一人で歩け

       たけの
        H13.5」
と書かれてありました。

この色紙のことが気になります、とたけのさんへ告げると、色々な話を聞かせてもらいました。
たけのさんは、旦那さんを早くに亡くし、20年以上ものあいだ、1人で暮らしておられた、とのことでした。息子さんは、県内の少し離れた町に、娘さんは神戸にいらっしゃるようです。

Nads_27661 たけのさんのつくっている短歌のいくつかをみせてもらいました。
「つつましい」様子のものにむかって「競い咲け!」と呼びかけ、パワーを取り戻させつつ育ててゆくところに、たけのさんらしさが出ているような気がしました。相手にパワーが戻ってくると、自分にも踏んばった甲斐があるわけです。

たけのさんは、84歳ほどにもなられている方ですが、いまも田んぼで米をつくっておられます。(地区の営農組合の力を借りつつ。) 斜面を利用した田であることもあり、ひとつひとつが広くありません。人に頼んで機械を動かしてもらう分、コストもかかり、お米の値段を考えると、むしろ赤字であるといいます。それでも、お米づくりをやめないのは、ひとつには、自分の(ひとりで暮らす)世帯が、「無職の独居老人」ではなく、「農家」である、ということを続けることが、生きる力になるからだ、といいます。また、もうひとつには、できたお米を、娘さん息子さんや孫たちのもとへ届けることが、生きるよすがのようなものとなっている面もあるからだ、といいます。

Nads_27651 【2010年11月30日】
あとになって、たけのさんの短歌のいくつかをふりかえり、たどりなおしていました。

おりにふれ、ご近所の方であることもあり、やりとりさせていただいています。
そんななかで、「常に前を向いていること」「去るものは追わないこと」「そのときどきの与えられた環境のうえで自分にとって≪よい面≫に注意を向けつづけること」――この3つについて、たけのさんは、徹底的ともいえるほどに、自分に課しておられるようでした。

ご主人が先にたたれたことについても、去ってしまったもののことは、思いすぎないようにすることで、前向きに生きられる、ということを話しておられました。
しかし、それでも、「一年に一回くらいは、存分に思いをめぐらせ思いを馳せることを、自分に許してみた。」 そんな歌なのかもしれませんね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010/11/18

018.お隣さん・ご近所 3 ~「石垣をへだてて」の巻

家主さんの奥さん、なみこさん。じつは、この方、胸のうちで、「家主さんに~~を尋ねないといけないなぁ」「~~をお願いしないといけないなぁ」と唱えたときに、すぐお会いできるんです。現在のお住まいは神水(かんずい)地区で、新屋からは5km以上離れています。しかし、お借りしている家(オフィス)のことで何かあったときには、すでに、なみこさんが、新屋にいるのです。いつも不思議に思っています。家の掃除に来たとき。盆踊りの少し前のとき。秋祭りの少し前のとき。寒波が訪れて寒くなったとき。家の備品について、疑問に思ったとき。
秋祭りのときなんかは、私の行動がふだんより少し早いタイミングだったのか、家主さんの家に向けて出発して、坂をおりはじめたところで、車ですれ違いました。家が生きていて、私のむずむずを察知し、なみこさんと家とのあいだで、交信が成立しているのかしら。(……)

【2010年8月1日】
この日も、まさにそうでした。私は、獣害レンジャーに参加していて、ひととおりの作業的なことが済み、いちおう解散前に、「吉滝」というスポットの観光、という予定もあったのですが、水間地区の家を利用した学生さんたちが、家の片付けや撤収作業などをしているあいだ、吉滝へゆくまで時間が少しあります。

私は、前日に引っ越してきたばかりであることもあり、ご近所さんへの挨拶をしなくちゃ、と、思っておりました。

この空き時間を利用して、水間より新屋へ戻り、ご近所を訪ねてみようかな、と動いたのでした。

そしたら、新屋の家の前には、なみこさんがいるではありませんか。

ちょうどよかった、と、ご近所の方々について教えてもらい、訪問・挨拶をさせてもらいました。どの家に行くにも、坂道を通り、家の土台に石垣のあるところが多かったのが印象に残りました。1軒、お留守のところがありました。今日はここでやめにしよう、と、なみこさんと別れ、おじろん(吉滝へ向かって出発する前の集合場所)へ移動。そしたら、ちょうど私の着いたときに、他の車3台が動き出しました。

よきタイミングの女帝、なみこさんの話はここまで。

さて、なみこさんが新屋へ来ていたのは、その日の晩に、地区の会合(新屋地区臨時総会)があることを私に知らせるためだったようでした。区長さんに、私の新屋への到着を知らせてもいてくれたようで、その晩、新屋地区の方々(各世帯の代表の方、50数人)の前で自己紹介をさせていただきました。

Mg1007lite
(新屋地区・うちのすぐご近所) あじさいをみて、嬉しくなるのはなぜ? 

あじさいといえば、このあいだ、

柤岡地区の大池~キャンプ場あたりへ行ったときに、長く続くあじさいの木の連なりを見ました。かなり長かったです。新屋も、【2010年10月11日】に、新しいあじさいの苗木を植えたところです。‥柤岡地区のあじさいの連なりについて、新屋のたけのおばちゃんが、「新屋も負けたなぁ」と口にしていました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010/10/19

008.お掃除会

【2010年7月13日≫7月14日】

新屋でお借りすることになった家のお掃除会をすることになりました。
住む前提で片づけごとをしてみよう、と。
7年半のあいだ空き家であったというお話でしたが、見た目にそうも見えませんでした。あちこちが塵やホコリだらけになっているわけではない、という意味で。
家主さんご家族が住んでらっしゃった頃のものがそのまま残っているところがあり、それらを一度撤去・移動してみよう、といった感じの作業となりました。(家主さんが作業に全面的にお力添えしてくださっていました。)

結果。
それでもしかし。お掃除や片づけごとをしますと、見違えるように雰囲気が変わりました。命を吹き込まれなおす、という感じでしょうか。現に人の住んでいる家とはまだまだ違うかもしれませんが、なにかとどこおっていたものが退いたという空気でした。マイナスイオン(?)。

1泊滞在しつつの作業、というかたちで実施したこともあり、この地のことがさらに見えてくる機会でもありました。今回は「おじろん」(温泉施設)の利用もできました。

帰りに、垂水区の本社へ立ち寄りました。
南谷の家でも、あじさいが愛されていました。
新屋のあじさいロードを目にして以降、すっかりあじさいファンとなってしまった私でした。

Mg0923lite_2
ドライあじさい ☆彡

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010/09/29

003.空き家をお借りする

【2010年6月28日】
「小代(実山)での集落サポーター業務を担当していただくにあたり、住む場所としては こ こ になります。」(会社からの案内。応募者であった私向けの言葉。)

「新屋(にいや)」という集落。実山より少し足をのばして到着。かくおさんよりお借りすることになる空き家。今回の訪問は、「下見(現状確認)」をするのと、「車」をその家のガレージに運ぶのとが目的だ。

車というのは、会社の軽トラックで、この日まで実山で預かってもらっていたのだった。白の軽トラで、農道などでもよくみかけるタイプの車。

下見というのは、ぶっちゃけた言い方でいうと、ひとつは、会社が「この家に住もうという場合には、あと何と何が必要であるか」を確認すること。そして、もうひとつは、私と「家」との相性を確認すること。はてさて!
**

私はこの6年間ほど大阪に住んでいた。福島区というところの集合住宅で、ワンルームだった。ひとりで暮らす前は家族でマンション住まいだった。生まれてからずっと、集合住宅にしか住んだことがない。

今回のこの家は、戸建の住居。そして、玄関も部屋も風呂も、広い。‥到着し、「まずは喚起しなくちゃ」。台所や縁側に沿って並ぶ窓や雨戸を開けてゆく。‥いっぱいある! 「広いというのは素敵だが、なかなか大変でもあるぞ!」(第一印象)

掃除をしたりするのが大変かなぁ、と。しかし、家主さんいわく「7年半の間、空き家だった」そうであるが、ぱっとみたところ、非常に状態がよい。毎月のように掃除に来られていたのではないかな。

≪戸建の住居に住ませていただく≫ という選択肢を前にした私にとって、強く背中をおしてくれる、頼もしい要因がひとつあった。私自身に経験がまったくない反面、私がふだんよく一緒に過ごす人が、戸建住居に住んだことがあり、しかも、一戸建ての家が大好きなのだ!! ――かくして(?)、私にとっては、相性「良」の家とのご対面であった。家にとって私がどうであったのかは、またおいおい家に耳を傾けてみることにしよう。めでたしめでたし。

003_mg0892livingspace
ひとりで住まうにはたっぷりすぎるスペースです。

003_mg0562kinjo
急な斜面に沿って。あじさいの季節でした。

| | コメント (0) | トラックバック (0)