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2010年10月

2010/10/29

012.目の前で図面が書かれている。。

【2010年7月16日(金)】
わたしが、研修期間(小代へ引っ越すための準備期間)で、神戸の深江ラボへ通っていたときのことです。

度重なる電話での確認事項のあと、建築士の小林美輪さんが、私の座っていた後ろの作業台のほうへやって来られ、図面を書き始めたのです。

すらすらすら~ っと、ペン先が流麗に流れていました。
こんこんと、あふれ出る泉のように(!) 設計図ができあがってゆきます。

ほどなくして、わが社の代表社員、浅見氏も図面を書き始めました。
やはり、すぅーーっと線が引かれ、スペースが区切られ、窓や出っ張りや収納やもろもろの工面が、あっという間にこしらえられます。

(作曲家モーツァルトを題材にした映画のなかの、「頭の中ですでにできあがっている新曲を五線譜に書いてゆくところなのだが、よどみない展開に、ペン先が追いつかない」といった場面を連想してもよいかもしれません。)

‥わたしは、建築設計の仕事について多くを知らない者でして、作業の前後関係や、各々のプロセスの役割などについてもわからないので、こういった把握は的を得ていないかもしれませんが‥
目の前で、「価値の産み出されるもとになるもの」が次々に姿をあらわしてくる現場をまのあたりにしているような心地となり、‥いや、図面じたいがすでに価値をもっているはずです‥ ものすごくテンションがあがりました。

基本構想の下書き図面であったかもしれませんが、ものの10分もしないうちに、出来上がりました。わかる人がみれば、ばっちりと考え抜かれた構成関係がそこかしこに顔をだしたもののはずです。

下世話な表現をしますと、その10分ほども経たないあいだに、「チャリンチャリンチャリンチャリン‥」と、(その図面そのものやそこに書かれた構想をもとに出来上がる建物のために支払われる)数千万円にものぼるお金がスキャンされてゆくようなイメージです。

どんな職業であっても、そういう瞬間(準備期間や構想期間のあいだに積み重ねられた「動き」どうしがつながって、大きな動きが具現化してくる瞬間)がある、ということなのでしょうか。

「振付師がひと連なりの振付けを次々に編み出してゆく過程」。
「ニュートンの目の前で、木から、リンゴの落ちてくる瞬間」。
「鑑定士が、金額を言う直前(?)の、しばしの時間」。

そういえば、この日の前日(【2010年7月15日】)は、わが社のひとが設計を担当させていただいた「元町映画館」での作業のお手伝いに行っておりました。
「映画館づくり」という立場から見ますと、大きな動きが顔をみせる瞬間といえば、どんなところになるのでしょう。その土地が「Yes」と答えて、その場所が建設予定地になった瞬間でしょうか??  スクリーンと映写機が設置され、フィルムをまわして映し出す瞬間でしょうか??

元町映画館は無事オープンされたようです。(【2010年8月22日】) おめでとうございます!

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さて、その深江ラボへ行きますと、
≪但馬で何が起きているか≫
について、その一端がわかるようになっていますよ。
但馬各エリアにある集落で実施されたイベントの広報チラシや、会議録などが、壁一面に貼られているんです。(丹波や神戸もあります。) それも、綺麗にデザインされた紙面ばかりです。

私も、その後何度か、他の地域での集まりや行事のお手伝いで参加をさせてもらうことになりました。

ここ小代で、実山で起きていることについても、私の身体を通過したものについては、≪但馬での出来事≫として、浅見氏の耳へ届くことになっています。(日報を書いております。)
浅見氏は、「ぜんぶ」知らせてください、と言わはるのですよ。「ぜんぶ」!

作業のあいまに、ぼぅーっと山林を眺めているあいだに思いついたこと(多くの場合は、雑念であるのですが)なども「ぜんぶ」!?

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実山で、お昼間、山を眺めていたときに、ふと、「但馬山林マイスター」という言葉が、こだまして何度も聞こえてきました。

『銀河鉄道の夜』の主人公ジョバンニのもとに届いた、「銀河ステーション」「銀河ステーション」‥というつぶやきの聞こえたのが、こんな風だったかどうかは、私は知りません。

「但馬山林マイスター」とは、但馬の山林のためにしてやれる(あらゆる)ことのデザインのできる人。山林の発する声を「きく」ことができ(小さな叫びも)、それと、人間の都合とをすりあわせて、按配のよい作業立案などができる。

但馬に住むひとのなかには、山林を愛する人も沢山いるようです。ある人が車で案内をしてくれつつ、山林率(その土地のなかに山林の占める割合)や、自然林と人工林の比率などの話をしてくれた(【2010年8月6日】)のですが、山を指さして「あのへんはー、、"87%"だ」のようなしゃべり方をされていました。数字をいうまでのあいだに、ちょっと「間」があったのです。私は、つい、その"87%"というのが元々その方の頭に入っていた数字ではなく、

≪いまこの場で、目で見て、何パーセントであるかを算定している≫
のでないか、と錯覚しそうになったのです。

その記憶があったせいでしょう。

「但馬山林マイスター」とは、そういう人なのです。(どんな人だというねん)
もちろん、その資格をとれるためには、実地の経験につぐ経験、修行につぐ修行を経てこなければなりません。
‥あ、「おことわり」するのが遅れました、そういう職業が実際にあって紹介している、というわけではなく、私の耳にこだましていた譫妄(せんもう)走る想像のなかのお話です。

  • ぱっと山林をみたときに、間伐を必要としているスポットを次々に示してゆく。
  • 「ここは、集落のほうへ、林が迫りすぎていて、動物が出やすくなるから、この間は切りましょう」とかの判断も含められる。
  • それで、伐採した木で焼肉小屋をつくり、そこへ若者を通わせつつ、山の守(もうり)もさせる。
  • どの地点へ行って、どの角度からみたら絶景だ、とかも、山林をみた瞬間に言える。
  • 紅葉したときにどんな色になるかを、山々を描いた日本画をもってきて、「こんな色になるでしょう」などと示せる。
  • 但馬の写真を写した、どんな断片的な写真をみても、それがどこの山の林であるかが、すぐに言い当てられる。

そんなひとがいるといいなぁ~。

試しに但馬で撮った写真をランダムに1枚。「これはどこでしょう。」
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――(答えて) 実山。 ‥うしろで「チャリン」(小判が一枚) 【2010年8月6日】
――その隣のエリアのところにお堂があるようだが、土台部分が傷んできておるようで、治さなければならないでしょうな。 ‥「チャリン」「チャリン」

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あぁ、そういえば今日(【2010年10月29日】)、昼間にいったん家へ戻るとき、新屋で、スギの木を切っている人がいるのをみました。お話をきけばよかった、とあとで思いました。

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会社の人と一緒に立ち寄った、養父市小佐地区のサツマイモ畑。【2010年7月13日】
神戸の方々が農作業体験に来られ植えたそうです。後日、イモ掘りにも来ますよ!

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2010/10/25

≫ 第2回 但馬牛 ゆったりウォーク のご案内

来る 【2010年11月6日(土)・11月7日(日)】 に開催のイベントのご案内です。

小代(おじろ)では、「みかた残酷マラソン」のような、過酷な起伏のあるコースを走るイベントがこれまでも開催されていたようですが、こちらは、昨年より始まった、「ウォーキング」のイベントです。

≪世界の名牛「但馬牛」のふるさとを歩こう!≫
小代ゴンドラステーション駐車場をスタート地点・ゴール地点として、6種類のコースが設定されています。川沿いの比較的平坦な7kmコースも、あることはあります(1日目・2日目とも)、谷をのぼって、美しい滝や渓谷のキャンプ場、スキー場を経由する、高低差のあるコース(11km or 23km)にトライするのが醍醐味ではないでしょうか!!

「但馬牛」のふるさと探訪、ということで、一部のコースでは、現在も牛飼いの営まれている牛舎や放牧場のそばを通る道となっているかもしれませんね。
(私は、10/30(土)に別件で移動をする際に、1日目11kmのコースの一部分を通ることになりそうです♪)

ポール(ストック)を両手に歩くノルディック・ウォーキングと、一般のウォーキングのどちらでもよいそうです。[ポール(ストック)の貸し出しあり。]

制限時間はありません。ぶらぶらと歩くのもよし。路傍の植物やキノコ類をじっくり手にとったりしてみつつ進んでもよし。千鳥足もOK?! (川などに落ちない程度なら! 私のように額に傷をつくってはいけませんよ~)

参加の申し込み期限が延長されていたようで、10月29日(金)までは事前申込料金にて。それ以降は、当日スタート地点の会場にて。

2日間歩こう、という方や、長距離コース(7時15分スタート)を選ぶ予定の方には、ご宿泊での参加もぜひおすすめです。
オーベルジュ花郷里(はなごおり)さんや、大平山荘さんなど、12箇所以上の旅館・宿泊施設がスタンバイされています。

季節柄、早朝(6時~8時頃)に、雲海がでたりする頃なのでしょうか??
料理や温泉、鳥獣の声(!)を聞きながらの満天の星、など、小代へ泊まる楽しみは盛り沢山ですよ。
私は、天ぷらが好きなので、月に1度の天ぷらの会を、その日にしようかな、などと画策中です~♪

あ、もちろん、雑木林げにゆけば紅葉もしとんさると思いますだで。
[↑小代っぽい言葉遣いをイメージしたのですが、使い方間違えているかもしれません(汗)]
案内パンフレットをみますと、但馬牛ステーキの写真が載っていました。‥ということは、どこかに牛肉も登場する、ということですな。。(ワンコインという噂!)


但馬牛 ゆったりウォーク 2回大会 HP
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役場で、このイベントの話をうかがっていたとき( 【2010年10月5日】 )のこと。

イベント名に、「但馬牛」とついていたので、ゆったりウォークの「ゆったり」も、≪牛の歩くようなスピードで歩きませんか≫
と呼びかける趣旨なのでしょうか??
ということをご担当の方にたずねてみました。

すると、「いや、どうなんだろう、そんなはずはないのと違うか?」という声のまじるなか、「もし、ほんまに牛の歩く調子で歩いたら、そして23kmを歩いたら‥」
≪ぐったりウォークになりますがな≫
というお答えをいただくことができました。


「牛歩戦術でしたか?」とのコメント (昨年度大会の写真)
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011.お隣さん・ご近所 1

隣にあるものについて、「お隣さん」という呼び方をしてみると、親しみを感じる。

いま勤めているところや住んでいるところと隣接したエリアについて、「どこどこは、隣の町ですわ~」という風な思い方をすることによって、親しみがわく場合がある。

しかしひょっとすると、自分は、「お隣さん」をむやみに使いすぎているのではないか、とふと思った。

  • このあいだ、「村岡」でご飯を食べていたとき、「小代から来ました、お隣ですわ~」と言っている自分がいた。小代区と隣り合ったところに村岡区があるから、お隣だと思っている。
  • 以前、「湯村」のバス停にいたとき、電話で、「今、隣の町に来ているのですが。。」と話した。峠をひとつはさんで隣り合っているので、お隣だと思っている。
  • 車で小代に向かっていて、まだ「養父」市を走っているとき、「ここは、まだ隣やで」と同乗者に説明している自分がいた。あるトンネルの手前では「養父市」と表示され、そのトンネルの向こうでは「香美町」(自分の住む町)と表示されるので、やはり、隣だ、と思っている。

「お隣さん」に該当するものが多すぎると、隣で聞いている人は混乱するのではないだろうか??  親近感を受けとる範囲をめくらめっぽうに広げることで、八方美人だと思われるのではないだろうか?? 

とはいえ、心配には及ばないかもしれない。「お隣さん」は、「ただ隣であること」を示す表現であり、親近感を抱くことを強要するものではない。それに、長野県のような、数多くの県と隣り合った県に住む人が、愛想をふりまきつつ混乱しているというわけがない。

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私の好きなトピックの1つに、「国道 9号線の今と昔」という話がある。
何人かのひとに、R9 の昔はどんなんだったのですか? とたずねたのだが、なかなか面白い情報が得られる。
ちょっと昔にさかのぼる話のなかでは、トンネルがまだ開通していなかった頃のルート(旧道)を利用していた時分の思い出ばなしなどを聞かせてもらえる。
もっとずっと昔にさかのぼる話のなかでは、国道9号線という呼び名がつく前の街道の話になる。街道ばなしにも、江戸時代の街道から、さらに昔、古代(平安時代以前?)の道についての話までが含まれるわけだ。

ここで、その「ちょっと昔」の、トンネルが開通する前の状況に的をしぼってみよう。大昔すぎない話。今生きている人の記憶のなかで振り返られる程度の昔。さて、実山の人と話をするなかの節々で、「昔はトンネルがなかったものだから、あすこまで行くのにも時間がかかった」という話をよく聞くことに気づいた。

高齢の方の話をきくなかで、みえてきたことであるかもしれない。「今でこそ、トンネルがあって、行き来がしやすくなっているが、昔はそうではなかった。」「行き来のしにくい、峠の向こう、山ひとつ向こうの町は、自分たちのすむ町とぜんぜん違う世界、異空間、であるかもしれなかった。行き来の少ない町どうしを比べたら、習慣やすむ人の気質などに違いがあっても、不思議ではなかった。」

‥ということは、山間部でおこなわれる会話のなかでは、「お隣さん」イコール「遠い、行きにくい、アウェイ」なのだ!
隣り合っているということを、「もうすぐそこ、近い、ホームのそば」である、親近感を抱いてもよい対象である、とみなす私の感じ方とは≪別の感じ方≫をはぐくむ土壌があったのだ。

但馬のなかには、「内陸の山間部」で、「鉄道も走っていない」というエリアがざらにある。そういうところでは、「トンネル」ができるまでは、互いに行き来の少ない町どうし、という意味での「お隣さん」だらけだった、ということになる。‥おおお。

**
ちなみに、大阪での、「トンネル」体験(私にとって、トンネルとは何であったか)もいちおう記しておきます。

私の住んでいたところの近所で、「トンネル」と言えば、大半が、鉄道をくぐる地下道のことであった。

  • JR新大阪駅(高架化されていない地上の駅)の、何本もの線路をまとめてくぐる、長い地下道があった。
  • JRの貨物線をくぐる、長い地下道があった。
  • 安治川という川をくぐる、長い地下トンネルがあった。(地下トンネルのできる前は、渡し舟があったらしい。)
    などなど。

平野部に暮らす生活のなかでは、トンネルとはこういうものではないだろうか。
鉄道や川を、その流れをさえぎらずに横断することを可能にする通路。
但馬に住む人々と、「トンネル観」は、かなり違っているはずなのだ。

このあいだ、大阪に住む母が車で小代へ来たのだが、第一印象として口にしていたのは、「道中にトンネルが多いなぁ」であった。やはり、大阪市内に暮らしているなかでまず目にしない、「山の中に突っ込んでゆくトンネル」が印象にのこった、というわけだ。
(もちろん、山の中をくぐるトンネルをまったく知らずに生きてきたわけではない。大阪市からそう遠くないところの、箕面、生駒、六甲などの山々でトンネルがくぐっていたはずだ。)

**
さて、冒頭に記した、私にとって「お隣さん」として現れていた3つについて、簡単に整理をしておこう。

  • 「村岡」(兵庫県美方郡香美町村岡区)‥「小代」(兵庫県美方郡香美町小代区)のすぐ隣の区。
  • 「湯村」(兵庫県美方郡新温泉「町」のなかにある)‥「小代」(兵庫県美方郡香美「町」のなかにある)からみて、隣の町内にある。
  • 「養父」(兵庫県養父市)‥兵庫県美方郡と隣り合った市(旧養父郡)。旧八鹿町の役場を市役所とする。旧八鹿町から山ひとつへだてて(もしくは円山川をのぼって)、旧養父町がある。旧養父町エリアにゆくと、養父市場地区(牛取引の神様のいた? ところ)、大藪地区(現在の「但馬牛のせり市」のあるところ)などがある。

それでは――私の感覚との比較ばかりになり申し訳ないが――3人の但馬女性の話を引用し、「お隣」感覚の色々をみて終わることにしよう。

【2010年8月18日】
実山にて、たまゑさんという人が、こんな話をしてくれた。
「隣の」という言葉の使われ方に注意をしてみると面白いかもしれない:

/////
「昔、うちでも牛を3頭、4頭飼っていた。仔牛を育ててました。」
「60日経ったら、発情して、種付けしますがな。」
「種付けをする人は、隣の湯村にいるのだけれど、遠いので、大谷(小代区内)まで出張して来てくれました。」
――仔牛は、どこへ売りにゆくのですか (いのりがたずねる)
「牛は、今だったら、養父でやってるせり市へ売りにゆきます。」
――あ、隣の養父まで行くんですか?
「(え?) 養父、だから、隣といっても、もっと遠くで、‥あれは隣だかな?」
「‥それで前は、温泉町まで売りに行ってました。」
「そして、そのもっと前は、隣の村岡まで売りに出てました。子供の頃のことです。牛を追って歩いてゆきました。朝早うに、と言っても夜中ですが、ちょうちんをとぼして歩いて行って、朝になったらちょうど着きます。」
/////

[★ ちなみに、養父のせり市 ってこんなんらしいです。私は行ったことがなく、初田さんの記事、参考になりました。]

上のたまゑさんのお話をもとに考えるなら、小代で牛を飼っていた人々は、山間部に住まう人のなかでは、「行き来をよくする人」の部類に含まれる人々だ、ということになるかもしれない。(せり市が町の外にしかなかったということにより。)

では、「行き来をあまりしない人」という部類があるのだろうか??

【2010年9月22日】
実山の下(しも)[小学校に近い、川のそばの方] の畑へ出てこられていたある女性の方のお話。

/////
「娘は、いまは神戸に住んでいますが、昔は実山で私と一緒に住んでいましたよ。」
「娘が、このあいだ、小代出身のひとなら、知っているだろう、ということで、小代で撮ったという写真をみせてもらったらしいのですが、ひとつも分からなかった、と言ってました。」
「小代に住んでる、というても、(私たちは)どこへも出かけないからだと思います。私も、小代になにがあるか、知らないです。‥あなたのほうがきっとよく知っているでしょうに!(←「よう知っとりんさるだろうに」)」
「私は、家の裏の畑と、この川のそばの畑へは毎日のように行きますが、それ以外では、もうひとつ上(かみ)のところにある橋へとつづく道を散歩がてら歩きにゆくくらいで、ほかはどこへも行きません。」
「あとは、そこ、向かい[※山を背にしたとき、実山から矢田川に向かって対岸部分]の忠宮(ただのみや)へ行くくらいです。」
/////

この方にとっては、ほぼ集落内の移動しか行わない、ということであるから、出かけてゆく先、もしくは道中としての「お隣」が存在していないことになる。「お隣」に近いものとして、「お向かい」が出てきたのは、谷という地形特有の発想だろう。

この地では、「お隣」であろうと、「お向かい」であろうと、猿やイノシシが自分用の道をつたってやってくる、という意味では、あまり違いのない隣接エリアである。しかし、小代の谷では、集落の「お隣」といえば、あいだを山の尾根でへだてられ「見えない」存在であるが、「お向かい」といえば、川をへだてた向こうに「見える」存在である。

ちなみに、私の住む新屋地区にとっての「お向かい」は佐坊(さぼう)。矢田川をはさんで、やはり対岸にあり、同じくらいの標高のところにある集落。標高は同じくらいだが、新屋は北向き(北西向き)の谷、佐坊は南向き(南東向き)の谷。太陽との関係が違い、佐坊地区のほうが「暖かい」という。‥うらやましい。

**
最後に、スケールの違う「お隣」観に、ド肝を抜かれる話。

【2010年9月12日】
梨を買いにいく、梨は稲刈りを手伝ってくれたひとへのお礼にあげるのにちょうどよいから、という話を、新屋のご近所に住む植垣たけのさん(84歳の元気な女性)から聞いていたときの言葉:

/////
――鳥取砂丘のそばに、梨の直売店のならぶ道(「ふくべ梨狩り街道」というのかな)があるみたいですよ。鳥取砂丘へは行ったことありますか? (と、いのり)
「(鳥取砂丘)砂の美術館は、おばちゃん行ったことがある。老人会の遠足だったかなんだったか。」
「行ったことがあるけれど、しょっちゅう行くところではない。」
――(地図をみながら) 鳥取砂丘は、小代口を出て、車で50分ほど移動したらたどりつくんですね??
「‥隣町かな、やっぱりここは。しょっちゅう行くところではないけれど、いざ着いてみたら、すぐだし、隣町という気がしてくるでナァ~。」
「(鳥取砂丘にゆくまでの道中にみた景色について) 耕地も広くて、ハウス(農業用ビニールハウス)も作れて、うらやましい。ちーっこい(小さい)土地の段々畑しかない新屋とは全然違う。熊やら猿やらを、ぜんぶここ(地図上の鳥取砂丘)へ持って行きたいわ。」
/////

このおばちゃんにとっては、地形も風土も「(小代の)新屋地区」とぜんぜん異なる「鳥取砂丘」であるが、車で一本道でたどり着ける以上は、隣町のようなものだ、という把握がなりたつ様子であった。
「お隣さん」であるとみなす、ということは、自分の町と対等に比較できる対象としてみている、ということであり、そのうえで、「うらやましい」などの感情が伴っているようだ。

鳥取、というと、兵庫県からみると県が違うし、すごく遠いところ、というイメージを抱いていた私にとって、上のたけのさんの言葉は、なかなか意外に思われるものであった。

‥大阪へも、隣町のような感覚で帰ったりできるとよいのにナァ~。
何人かのひとが、小代に住むことについて(豊かな自然に囲まれていることだし)「うらやましい」と思ってくれているのだが、行き来さえしやすくなれば、みんなが小代へ来ることができてそう思うようになるかもしれない。

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2010/10/22

010.こんにちは

【2010年7月14日】

いやいや、「牛」に挨拶をした(→ひとつ前の記事)だけではありません!
この日、実山地区の「人」ともお会いでき、挨拶をしました。

こんにちは。
‥実山の区長さん、この日お留守でした。

こんにちは。
‥ひでおさん、という方と会いました。長い間但馬を離れてお仕事をされていたのですが、定年後、去年より実山のご実家へ戻ってこられているそうです。実山地区での平均年齢を考えると、ひでおさんは「若手」になるのだ、とおっしゃっていました。実際、精力的に作業に出たり、講習を受けに行ったりされている様子でした。

(講習→ 八鹿にて。アドバイザー講習。豊岡農林の方がお世話してくださる。)

こんにちは。
‥たかしさん、という方と会いました。家に植木(花)がたくさんありました。犬を連れてらっしゃいました。林業研究会での発表、というものを控えてらっしゃるそうです。「そうか、君も大阪から来たのか。」「去年稲刈りに来てくれた大阪の若いお姉ちゃんとは、正月までやりとりしたよ。」などなどのお話。

私と一緒にいた浅見氏は、2年前より(集落アドバイザーとして)、実山の方々との接触をもっているらしく、すでにこの地での出来事や事情にも通じてらっしゃる様子。私ひとりがバッタンバッタンしているのを別にすれば、会話がするるるーっと転がってゆき、とても心地がよかったです。

さて、実山地区では、おもに農家の方々が、サルによる食害に悩まされているということなのですが、その対策として、畑に電気柵の囲いをするという作業をしてはどうか、ということになり、都市部の人間をボランティアとして招き、「獣害レンジャー」という組織をなして、その作業にあたってもらっている、とのことでした。

私が引っ越す予定が7月の月末で、今年の獣害レンジャーの出動が、8月1日だとのことだったので、どうやらその時が、私の初作業となりそう。

そのこと(獣害レンジャー出動予定日・私の参加)をひでおさんへ伝えると、その前日7月31日が、小代の夏祭りだ、ということを教えてもらいました。なるほど! 獣害レンジャーは、遠くからのかけつけであり、朝早くからの作業でもあるので、前泊してスタンバイして動く予定のものなのですが、前夜から乗り込むメリットは、そちら(夏祭りをみれること)にもあったのでしょう。

ひでおさんは、作業の帰りらしく、長靴をはいていたので、長靴を見せてもらいました。農作業用に自分も1足持っていたほうが便利だろうな、と思いました。

最後に、このあたりに住んでいて、海産物を手に入れよう、と思ったら、どうすればよいかをひでおさんに尋ねてみました。私の知人には、海産物の好きなひとが多いのです。(前に、香美町、というと、香住のカニを思い浮かべるひとが何人もいた、ということを書きましたね。) 将来、遊びに来てもらうことがあるかもしれない、との思いから。

答えは意外で、「浜坂まで出て行って買う」とのことでした。あるいは、もう少し近所で探すのであれば、入江のところに宿院(しゅくいん)という鮮魚を扱う販売店がある、とのお話でした。

さて、私はまだ車の練習中です。実山には、坂道が多いということを知りました。坂道発進でGo! ‥7月末までに乗れるようにならなくちゃ。。

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実山では、一歩歩けば、(植えられた)花にあたります。‥ほんまにですよ!

[ ☆ この記事をアップロードしている10月22日、小代区の中心街の小売店「チコマート」において、カニがいくつも並んで売られているのをみました。やーやー。≫ こんにちは。≫ こんにちは。‥鳥取から来たカニガニかな。] [ ああぁxx 結局、人間以外のものへ向けた挨拶でしめくくってしまった。]

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2010/10/19

009.牛を育てていたらしい

【2010年7月13日≫7月14日】

新屋地区でお借りすることになった家にて。お掃除会のとき、ある一間を指し、「その昔ここには牛舎があったのだよ」と教えてもらいました。

この家の建った頃の物価について、普通に就いたお仕事のお給料、酒づくりの出稼ぎに出た場合の収入、そして、それらと比較した場合の、牛1頭が売れたときの値段、と順序だてて、家主さんは話をしてくださります。

それで、私も想像をふくらませます。「そうか、あの頃、ここに牛がいたのかぁ。」

「牛を育てる」という営みは、小代にすまう人々の生き方の枠組みを大きく決定するものでもあったそうです。小学生の自分には、学校へ行く前に、牛を連れて山道をあがり放牧場へゆき、学校が終わると、また牛を連れて戻ってくる、というのが日課なものだったというお話を聞きました。仔牛として育つあいだ、ずっと急な山道を登り降りするので、牛の足腰は丈夫になり、将来的に肉づきのよい牛となるらしいです。但馬牛が、各地のブランド牛の元牛として重宝される背景には、そういった丈夫な仔牛づくりの秘訣も関係しているのだとか。

お掃除会の2日目、実山地区へも立ち寄りました。
この日は、実山地区の方何名かとゆっくりお話をすることができました。
お堂のそばへ行ったとき、向かいにある牛舎の表にでてきていた牛が、こちらを見ている様子でした。

それで私も、牛に挨拶しました。

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「大久保といいます。今後何度も現れることになると思います。‥よろしくお願いします!」と。

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008.お掃除会

【2010年7月13日≫7月14日】

新屋でお借りすることになった家のお掃除会をすることになりました。
住む前提で片づけごとをしてみよう、と。
7年半のあいだ空き家であったというお話でしたが、見た目にそうも見えませんでした。あちこちが塵やホコリだらけになっているわけではない、という意味で。
家主さんご家族が住んでらっしゃった頃のものがそのまま残っているところがあり、それらを一度撤去・移動してみよう、といった感じの作業となりました。(家主さんが作業に全面的にお力添えしてくださっていました。)

結果。
それでもしかし。お掃除や片づけごとをしますと、見違えるように雰囲気が変わりました。命を吹き込まれなおす、という感じでしょうか。現に人の住んでいる家とはまだまだ違うかもしれませんが、なにかとどこおっていたものが退いたという空気でした。マイナスイオン(?)。

1泊滞在しつつの作業、というかたちで実施したこともあり、この地のことがさらに見えてくる機会でもありました。今回は「おじろん」(温泉施設)の利用もできました。

帰りに、垂水区の本社へ立ち寄りました。
南谷の家でも、あじさいが愛されていました。
新屋のあじさいロードを目にして以降、すっかりあじさいファンとなってしまった私でした。

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ドライあじさい ☆彡

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2010/10/07

007.車に乗る練習をする

【2010年6月28日 ≫ 2010年7月上旬】
こうして、私の小代行き(実山地区への派遣)が決定していました。
小代行きの支度に際して、会社(人・まち・住まい研究所)からもサポート/バックアップしていただけるとのこと。
まずは、車に乗る練習をすることから始めることになりました。
ずっと車には乗らずに過ごしてた(ペーパーだった)のです。
乗らなくちゃ。
また、私の免許は「AT限定」のものだったので、マニュアル車に乗るためには、ペーパー自体も更新(「限定」の解除)しなくてはいけません。
解除しなくちゃ。

甲子園の自動車教習所へ通うことにしました。ペーパー教習コースと、限定解除コース。
なつかしい感覚。少々苦戦。7月末までに、「車で3時間半」のコースを自分で乗れるようになっていなければ。。。

但馬行きだけど、自分で運転はしていない、という時が何度かあり、何枚か車のなかから外の景色を写真に撮らせてもらったりもしました。
自分が運転中だとできないことですよね。
「車で3時間半」のコースは、途中の景色がめくるめく変わり、なかなか楽しいですよ。
山が多いですが、その山にもいろいろあるわけです。小さくとコロンコロンとした山。ワイルドにそびえたつ山。皮むき器で皮をむいた野菜みたいに、ゲレンデ部分の色が違っているスキー場の山。「三角形」がたくさん連なっているような編成の山。

「三角形」の山が連なっているところで、山たちと谷たちの筋々脈々をあらためて眺めてみていると、「山」という漢字ができるもとになった象形の話への、納得感が増すような心地になりました。昔に習ったときに、「そんな三角形の山なんてないさ」と思い込んだりしていた時期もあったのです。

Mg0998hikami
この山々を抜けたら但馬エリアに入りますよ(たぶん)

さて、自動車教習所へゆくと、さっそく、「小代」訪問の効果がみられました。
(というと大げさですが。。)

教習所の入口のところに植えられているあさがお(西洋朝顔?)に注意を奪われたのです。

Mg0721koushien
「ウェルカムあさがおを発見~!」

てな具合で、「小代ゆき」の支度を開始。幸先がいい(?)ですね。

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006.外から来る・外から見られる・外を見る (3/3)

〔‥つづき〕

私は、支援員として体当たり勝負をするよう望まれている存在だ、ということもあり、「外」に関しても、当面のあいだ手当たり次第のアプローチをすることになるかもしれません。賢明さを欠くように思われてしまう面もでてくることでしょう。
(エネルギーの無駄が生じるのは避けたほうがよいのでしょうし、何より、こっちを向いてくれない「外」ばかりでは、非常に残念ですよね。)

ともあれ、直接に実山内の出来事ではなかったり、現時点で実山との接点があるわけでなかったりするものたちをとりあげる記事の投稿もさせていただくことになります。なかには、たまたま大久保のアンテナにひっかかってしまったがために、このブログ内に連座させられ登場するものもあるだろう、というわけです。

まず最初に、ということで、私自身が「よそ者」である、ということと、先輩格の「よそ者」、浅見氏のことを書きました。
**

では最後に、さきほどの「ストップ!」の前の問いに答えておきましょう。アドバイザーとして派遣される際の浅見氏の仕事は、おもに「地域内コミュニケーションの再構築」のお手伝いをすることにあるそうです。「外」から来ている浅見氏が、地域での懇談会に立ち会う。そして、地域「内」にもともとあったコミュニケーションの力を、集落の皆さんに再確認してもらう。そういった取組みがその一例ということのようです。アドバイザーなので、体当たり勝負を手当たり次第のアプローチでやらずとも、すぅーーっと、「元気」づくりのとっかかりとなるコミュニケーション醸成のお手伝いの動きとなるわけです。素敵ーっ。

  • 観音堂の実測  [浅見氏が各氏とともに、実山の峰山観音を訪れたとき(2010年6月)のことが書かれた記事です。]

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006.外から来る・外から見られる・外を見る (2/3)

〔‥つづき〕

それでは、兵庫県集落元気アドバイザー、というのは、何をしに来るひとなのでしょう? 集落の「元気」づくりのために来るといわれています。≪集落にどうして「元気」がないの?≫  人口が減少したり、高齢化が進んでいることが背景にあるといわれています。≪考え方として、どうやったら「元気」づくりが可能になるの?≫ 集落の内部でまかなえなくなっているもの(エネルギー、ノウハウ)を、「外」から採り入れる、という考え方で進めるモデル事業が進行中である、といわれています。≪「外」って何?≫ ‥ストップ!

はーい、少したちどまりました。

「外」って何なのかをしばらく当面のあいだ、脇においておくとしまして。。

集落「外」の何ものかとの連携をおこなえるようにすること。「外」のエネルギー(労力、資金、知恵…)にふれ、それを自分のなかに(集落のなかに)折り込むこと。
そういったことを「鍵」として、取り組まれる営みの分野が、集落支援の活動には、どうやらあるとのことのようです。(「小規模集落元気作戦の取組イメージ」という資料をもとに書きました。)

ということは、「外」に相当するものが何であるのか考え、「外」の候補となりそうなものを見つけようと動いてみる、ということが、業務のとっかかりとなるのかもしれません。
そこで、このブログでも、「外」を向いて、「外」にふれるカテゴリーを設けておこう、ということにしました。(「04.外伝」カテゴリー。)

実山の支援員として来ている大久保なのに、どうして、いま実山にいないの?  よその話をしているの? 「外」のことの紹介をしているの? ――答1 「大久保は、よそ見が好きだからです。」(No, no! Or.. yes?)  ‥ちょっと違う。答2 「外に向かって注意をしっかりそそぐことで、その分、外からのエネルギーの一部がこっちに向かってやってくる、という機縁が増えそうな気がする。」 ‥そんな感じでしょうか??

〔つづく‥〕

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006.外から来る・外から見られる・外を見る (1/3)

【2010年7月】
初実山のときのことを思い出しつつ。
私は自問していた。
‥ひとつの集落にとって、集落サポーター(支援員)とはどんな存在なのだろう。
‥「よその人」だろう。

‥「よその人」が、やってきて、その集落のためになる、というのは、どんな状態だろう??
/// ところが、そういった青臭い問いを、私がくりひろげるまでもなく、すでに何人もの方々が、実山地区で(あるいは但馬の他のエリアで)取組みを展開されていて、その現場に学べばよい、ということのようであった。

小代区では、(今回、私が自分をそのなかに巻き込みつつある)「小規模集落元気作戦」以外でも、よそからやってきて何か取り組まれている、という話がいっぱいあるらしい。
実山地区内でも、大半の人が、県の方々やアドバイザー、NPOやボランティアの方々の来訪を目にしているはずだという。

なーんだ。初めてなのは私だけなのか。

このあいだ、会社の軽トラックを預かってくださっていたお宅へお邪魔した折の、浅見氏が私のことを紹介してくれている会話:

「こんど、実山に来ることになる、かもしれない若い人です。」
「ほぅ、また(ボランティアで)来てくれんさるのかぇい。」
「はい。来ることになったら、1日や2日じゃなく、ずっといます。3月までだけど。。」
「ほんとかぇいー! ずっとかぇいー!」
*****

浅見さんのことを少し書いておこうと思います。
(このブログの編集者ですが、私の記事のなかでも何度も登場していただくことになるので。)
「私の上司、わが社の代表社員、浅見雅之氏。」
「住まいづくり x まちづくりのお手伝い(のプロ)。」

‥私のほうで、ちゃんとした浅見さんの紹介できる用意がないこともあり、少ししか書けずすみませんでした。おもに兵庫県、そしてとりわけ但馬にて、建築設計、あるいはまちづくりのアドバイザー業務で奔走する浅見氏の姿を見かけた方もいらっしゃるのではないでしょうか。私の業務に直接関係あるのは、私(集落サポーター)の雇い主として、それから、兵庫県集落元気アドバイザーとしての浅見氏です。

目の前の浅見氏が、すでに、アドバイザーとして実山に何度も来ていて、実山の人にも知られている、ということは、これから実山へ入る私にとっては頼もしいことでした。自己紹介をすると、「ああ、浅見さんのところのひとなのね」と言っていただけます。[道がすでに切り拓かれている、ということの実感に近い感覚があります。]

〔つづく‥〕

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