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2010年11月

2010/11/30

028.かおるさん (1/2)

【2010年9月7日】

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サルに持っていかれないよう、まだ熟れていないカボチャをとってしまいました。

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堆肥を運びだしたり、(牛のために)草を刈ってきたり、大忙しです。

**

【2010年8月7日】

実山地区の地図をつくって、集落内のあちこちを歩いてみはじめていた頃のこと。

畑で機械を動かし作業中のひとをみつけ、お話をきいてみることにした。

なんでも、昨日が初盆だというところを訪問した先(養父市)で、少し寄り道をして八木城跡へゆき、石垣をみたという。

自分が、過去に石屋(石工)の仕事をしていたということもあり、石垣じたいが好きで見たかった、と語るかおるさん。そしてその一方で、八木城は、実山地区に伝承のある朝倉高清(実山の奥の山中にある洞穴で数年間暮らしていたという、平家の落ち武者)にゆかりの城だった(実山エリアを拠点のひとつとして再出発した朝倉高清の一族のなかで、八木[やぎ、現養父市八鹿町の一地区]と土田[はんだ、現朝来市和田山の一地区]へ移って但馬での繁栄の基礎をつくったものがいるらしい?)ということも思い起こしていたのだという。

かおるさんが、お話しをきかせてくれているあいだ、パルスのような揺らぎが顔にたちのぼるのを何度も見たきたした。話しをするなかで、ゆるやかな調子から勢いのある調子に変わり、記憶の大きな「幹」をつたって、別の経験談との共通の文脈ができ、他の話題へと自然に移ってゆく。聞いているこちらへも、かおるさんの脳内でたちあがる火柱のようなんが、伝わってくる。

《石屋という職業》 《牛を飼うこと》 《朝倉高清の伝説》 《ものづくりにおけるフォームの基本》 《奥さんの他界がきっかけ》 《木彫り細工》 ‥門垣馨さんのお話は多岐にわたり、長時間続く。

【2010年11月30日】
色々な人を訪問し、お話しをききにゆくこと。

聞き取りの作業がこの仕事のなかである種重要な部分を占めることになりそうだ、ということを最初に意識したのが、かおるさんを訪問したときであった。

私は全部を覚えきれないので、メモをとりながら聞かせてもらうことが多い。

集落サポーターとして私がこの地に派遣されるなかで、取組むべき事柄はいくつかの柱に分かれているのだが、≪集落での人々の日々の営み(いま何が起きているのか)について把握≫と、≪これまでの(昔の)人々の活動の跡がわかるもの(写真や記録)の収集・アーカイブ化≫という2つの柱が、その聞き取りの作業に関係がありますよ、とあさみさんに教えていただいた。

話を聞いているときのメモの内容も、生きた伝承・語られた記憶として、アーカイブ化の対象になるのだと考えればよいようであった。

しかし、ことは簡単ではない。話しがあまりにも生き生きとしている。
そのままではデータにならない、という気がしてしまう。「いや、そのままでいいのです」と言うあさみさん。

なにが難しく感じられるのか、あとになって整理をしてみた。そして、今の時点で、こうだろうな、という考えにたどりついた。

聞き取りの作業をして、そのあと、聞いた内容を他の人へ伝えようとするときに、どうしてもやってみたくなることが2つあり、ところが、その2つは、「アーカイブ化」の作業とは方向性が少し違うもので、「アーカイブ化」を主目標におく場合は、むしろ「やってはいけない」ことだ、と考えるくらいがよさそうなのだ。

どうしてもやってみたくなる2つのことは、どちらも、その、あまりにも生き生きとしている話しの魅力を、そのまま伝えたい、と望むことに端を発している。

1つは、話しをまるごと記録して、そんな話しの展開になった背景とともに、人に伝わるようにすること。‥ボイスレコーダーがあれば、あとは書き起こしをすれば、話しをありのまま収録できるように、人は考えるかもしれない。しかし、少し考えるとわかることなのだが、ただボイスレコーダーを前にぽんと置いただけで、人が話しをしてくれるか、というとそうではない。私は、たんなる聞き手という存在であるのだが、私が、ここに引っ越しをしてきて、生きて暮らしている、ということがあってこそ、引き出されてくる話しがある。この地に暮らすなかで見聞きしたものの話題が、話しをきいて相槌をうつなかで、おのずとでてくる。そのことによって、私は、人の話のなかにも住みに行っているのだ、ということであるのかもしれない。

つまり、ただ話しをきく、ということのなかにも、話し手と聞き手のあいだでの共同作業のような部分があり、その部分をうまく拾い出せれば、生き生きとした話しの魅力が伝わる手がかりになるのじゃないか、と考えられる。話し手の話しが次々とふくらんでゆくときのわくわくするような感触が入ってくる。したがって、話しが始まってふくらんだきっかけや、話しの流れの緩急のようなものを描写することを、目標に含めるべきであるように思われてしまう。

ところが、レポーターとして未熟な私にとり、これは、「やってはいけない」ことなのだ。「描写」は、ほどほどにとどめておくべきであるようなのであった。

それからもう1つ。それは、私自身が、語りべになろう、とすること。この地に暮らし、里山での営みにふれ、作業も一緒にさせてもらうなかで、こういうことの話がしたくなる、という動機そのものが、私自身のなかにも生まれはじめる。「なに、それは、いいことではないですか。」と突っ込みをいれるあさみさんの声。そうです、これはこれでよいもので、あたためてゆこうと思うものであります。自分自身が語りべになることのメリットは、生き生きと語られている話の魅力を、描写によって人に伝えるのでなしに、自分自身がその「語り」を生きたものとして提供することで、人に伝えられる点です。しかし、少しやってみてわかることですが、これは門下生となって修行を積むような一面のあるはなしで、つまり、80歳の人が語る生き生きと語る話は、80年の生きた経験があってこそ出てくる波動や緊張感のようなものにささえられている。

つまり、私なりに経験を積んでゆき、そういった語りができることを目標に生きてみる、ということは、かまわないのであろうが、スーパーものまね師(模倣の達人)でもない私は、語りそのものをいますぐ自分のものとして、披露し、他の人にも伝わるようにする、という道をきりひらく前に、今年度が終わってしまう。その意味で、今年度に終えてしまうべき作業とは方向がずれている。

はてさて。
2つの「やってはいけない」(極端な)ことを、明確にして、脇に置こう、と決意をしておけば、なんとか「やるべきこと」にたどりつけるだろうか??

そのようなまわり道をしながら、かおるさんの話(の記憶と、そのときのメモ)へとかえってゆくいのりであった。

〔つづく‥〕

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027.盆踊りの練習のあとに。。

【2010年8月8日】
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人情時代劇「上州しぐれ」の準備のため集まる、新屋芸能同好会の人々。

Nads_28101_2 「新屋一座」――今年は、この旗が、兵庫県加西市にも立てられることになった。

**
引っ越してきた最初の日、住むことになった地区の総会があり、≪来週8月8日より(毎日)、盆踊りの練習をはじめます。「手踊り」は、地区に伝わる伝統芸能のひとつなので、皆さんぜひ覚えて習得してください。≫ との案内があった。なので、早速、8月8日顔をだしてみた。

住んでいる家のすぐ上のところに、神社とお堂のそばに広場がある。そこに、ちょうちんなどの設置が始まっている。

総会のときに受付にいたひと(けんさん)が、私のことを覚えてくれていたようで、色々と教えてくれた。
なんでも、芸おどりをやるのだとか。
お堂のところに座っているひとは、踊りのお師匠さんです、と紹介してもらう。
お借りしている家の風呂の塗りなどを担当してくれた業者の人(秋岡地区の人)が、秋岡では「やくざ踊り」をやる若者などもいる、と話をしていたのを思い出し、そのことを伝えてみると、また色々と教えてくれる。
さて、盆踊りの練習は、まず子供会から始まった。子供が終わったら子供は先に帰って寝る?
次は婦人会。それから老人会??
‥ある時点で、踊りのお師匠さんが、けんさんとともに、いなくなっていることに気づいた。
いなくなる? まだ踊っていないのに? 

ちょっと脱線しますと、ヒッチコック映画《バルカン超特急》 では、列車のなかで、気さくな笑顔の印象的だった老婦人が、いなくなります。そのことを不審に思っているのが自分だけだ(他のひとは、はじめから老婦人がいなかったかのようにふるまっている)、ということに気づいたときに、主人公は事件に巻き込まれてゆきます。

いや、ほんまに脱線しました。
さて、広場での盆踊りの練習がひととおり終わり、お開きになる。
家へ帰ってゆく道すがら、ご近所さんの顔を覚えつつ、話をしつつ、坂道をおりる。それで、もう少しで家に向かっておりる階段のほうへゆくところであった。

しかし、私はやはりなにかに巻き込まれているような心地であった。家へ向かわず、カーブする坂道をそのまま降りていってみることにした。すると、角の交流会館の2階の灯が点いているではないか!

勝手に冒険モードになっている私は、坂道を降りきって、角をまがって交流会館の2階へあがってみた。

‥それが、芸能同好会の皆さんとの最初の出会いでした。
けんさん達(メンバーのひとたち)に、踊りのお師匠さんが、稽古をつけておられる光景。そのそばへ近寄ってみました。(刀や扇が色々な向きで行き交い、歌の描く情景をたどるような振り付けで、ふしぶしが展開。緊張感のとぎれない流れ。) 

盆前の練習は毎日おこなわれているようでした。
私は、盆のお休みのあいだ、夜はゆっくり過ごすことができたので、練習されてる場をのぞきに出てみることにしました。

【2010年8月13日】
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この日は、全員が浴衣姿というわけではなかった。

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りんざえもんさんの笑顔の輝きが、いつもと何か違う、ということで話題になっていました。
(何かが違ったのです!)

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026.盆前の総事

【2010年8月8日】
盆休みのある週間に入る前の日曜日、地区ぜんたいで人が出てきて、草刈りなどをする「総事(そうごと)」があった。

実山地区は、集落の家並みのあるエリア以外にも、上(かみ)のほうには奥山があり、下(しも)のほうには河川敷沿いの田んぼへと続く道がある。これらのあちこちを、分担して、きれいにする、という動きのようであった。

小代へ来て8日目。8月1日の獣害レンジャーのときに、電気柵の設置にかかわっておられる村の方々とお会いすることができたが、他の方々とはまだお会いしていない。総事は、村のひとの顔ぶれのそろう機会のひとつでもあり、挨拶をするまたとない機会であった。

ところが、私は、前夜(8月7日)に、西宮北(道場~塩田)を拠点に「自然塾」を営む岡さんという人の開催しているイベントに顔をだす約束をいれてしまった。岡さんは、旧知の人であったが、但馬での自然体験活動のインストラクターの諸氏ともつながりのある方だということなので、この仕事に就いたのをきっかけに、あらためてお話をきいておきたいと思ったためだ。

翌朝の移動が思ったようにできず、実山地区での総事に、遅れて到着をしてしまった。
区長さんより、お堂の裏手のあたりのあぜの草刈りのお手伝いをしてください、との案内をいただく。
作業している 3人ともが初対面の方であった。
私は自己紹介をし、何をしに来ているのかをお話してみた。
ただしさんが言うには「確かに、ここら(但馬や鳥取)では、人口がどんどん減っているし、働き口も少ないわ」。
たまゑさんは、高齢の方で、今年から田んぼをつくらなくなった、と話しておられた。
みつおさんは、隣の町へ働きに出ています、と言っておられた。

Nads_27921ちょっと一服。

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ぽっかりと雲たち。

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新屋地区の家をお借りして住んでいることをお話すると、ただしさんが、「きみひろさん(新屋の芸能同好会のメンバーのひと)たちは、学生時代の友達だよ。」と教えてくれました。

なにかお手伝いできることありましたら、言ってくださいね、と伝えたところ、たまゑさんより、
「盆があけたら、庭の木を切りにきてください」とのリクエストをいただけることになりました。

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025.たけのさん

【2010年8月6日】
Nads_27601ご近所のたけのさんのお宅をお邪魔しました。
たけのさんは、お借りして私が住んでいる家の家主さんにとって、いとこにあたる方。
空き家になっていた近所の家に、住む人が来た、ということで、誰よりも喜んでいるひとだ、とお聞きしていたので、あらためて挨拶にゆきました。

キュウリに塩をして食べる、というのが、昔から食卓ではなじみのメニューであった、と教えてもらいました。

新鮮な野菜や果物をいただいているときに、奥の間に色紙がたてかけられてあるのが目に入りました。
色紙には、
 「ふりむくなよ
   前をみて
    一人で歩け

       たけの
        H13.5」
と書かれてありました。

この色紙のことが気になります、とたけのさんへ告げると、色々な話を聞かせてもらいました。
たけのさんは、旦那さんを早くに亡くし、20年以上ものあいだ、1人で暮らしておられた、とのことでした。息子さんは、県内の少し離れた町に、娘さんは神戸にいらっしゃるようです。

Nads_27661 たけのさんのつくっている短歌のいくつかをみせてもらいました。
「つつましい」様子のものにむかって「競い咲け!」と呼びかけ、パワーを取り戻させつつ育ててゆくところに、たけのさんらしさが出ているような気がしました。相手にパワーが戻ってくると、自分にも踏んばった甲斐があるわけです。

たけのさんは、84歳ほどにもなられている方ですが、いまも田んぼで米をつくっておられます。(地区の営農組合の力を借りつつ。) 斜面を利用した田であることもあり、ひとつひとつが広くありません。人に頼んで機械を動かしてもらう分、コストもかかり、お米の値段を考えると、むしろ赤字であるといいます。それでも、お米づくりをやめないのは、ひとつには、自分の(ひとりで暮らす)世帯が、「無職の独居老人」ではなく、「農家」である、ということを続けることが、生きる力になるからだ、といいます。また、もうひとつには、できたお米を、娘さん息子さんや孫たちのもとへ届けることが、生きるよすがのようなものとなっている面もあるからだ、といいます。

Nads_27651 【2010年11月30日】
あとになって、たけのさんの短歌のいくつかをふりかえり、たどりなおしていました。

おりにふれ、ご近所の方であることもあり、やりとりさせていただいています。
そんななかで、「常に前を向いていること」「去るものは追わないこと」「そのときどきの与えられた環境のうえで自分にとって≪よい面≫に注意を向けつづけること」――この3つについて、たけのさんは、徹底的ともいえるほどに、自分に課しておられるようでした。

ご主人が先にたたれたことについても、去ってしまったもののことは、思いすぎないようにすることで、前向きに生きられる、ということを話しておられました。
しかし、それでも、「一年に一回くらいは、存分に思いをめぐらせ思いを馳せることを、自分に許してみた。」 そんな歌なのかもしれませんね。

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024.射添エリア 2 ~芸おどりに取組む人々

射添エリアのなかのいくつかの地区では、芸踊りの伝統があります。芸踊りへ着目することで、何が映し出されるでしょう??

◎ 8月下旬に、学校のグラウンドで、「芸おどり・盆まつり大会」があったので、観に行ってきました。
【2010年8月21日】
柤岡(けびおか)や長板などの地区も参加していました。

柤岡(けびおか)は、湯村温泉へゆくときに通る、春来峠(はるきとうげ)の手前の急斜面上にある集落です。
ほんとうに切り立った崖のようなところに、たくさんの家が並んでいます。小代の秋岡地区と、どちらが急斜面だろう。

Nads_31231もとはといえば、病院の待合室で、町の広報誌を読んでいたことがきっかけでした。

Nads_31311 (やっぱり、写真があったほうがよく伝わるんだろうなぁ。
しかし、カメラマンではないし、すぐ近くまで行って、大写しにしたりする許可をもらえんだろうなぁ。驚かれるだろうし、こちらも緊張するなぁ。)

 

【2010年11月2日】
柤岡(けびおか)へ行ったときの印象を、近所のたけのさんへ話すと、たけのさんは、こんなことを言っておられました。

「山の上の行き詰まったところにあるような集落では、皆、何か鬱屈したものを抱えてしまうせいか、それをうまく発散させる芸事が発達するみたいだ。」「(私たちの住む) 新屋でも、踊りや村芝居が盛んだし、柤岡(けびおか)でも、踊りや芝居をする人が多かったものだよ。」

/////////////////
標高の高い集落や、斜面にある集落に、「芸踊り」「村芝居」などの伝統がのこっているらしい話をきくので、「射添」地区と「小代」との共通部分なのでないか、とも思われ、私も気になっていたところでした。

「芸踊り」では、サムライの格好をした人が、刀をもって踊ります。土地によっては、2つの役割を演じわけるような動きがあったりもするそうです。子供が踊る場合と、大人が踊る場合とあります。やくざ踊りと呼ぶ踊りもあるようでした。

昔からの伝統がそのまま途絶えずに残っている地区もあれば、いったんは途絶えてしまったものの、やはり「次代へ伝えなければ」「保存しなきゃ」といった声とともに、再開することになった地区もある様子です。

【2010年8月15日】
新屋地区の芸能同好会のメンバーが、向かいの秋岡地区の盆踊りに、芸踊りで出演をすることになりました。私は、入場のときに、旗をもつ役をさせてもらいました。

そのときの帰り道に、踊りや芝居の伝統が、歴史的には「百姓一揆のあった頃までさかのぼるらしい」「歌舞伎が発生したときのような状況から産み出されたようだ」などのように言われているのを聞きました。

こういうことが、ふだんの会話のなかで話されてるってことに、いちいち驚いてしまう私でした。伝承の話がたくさんあり、語られている歴史がある。

//////////
さて、もし、これが「百姓一揆に備えて、農民が、サムライの格好をして、刀をもって踊った」「そういう踊りが、芸能として発達した」というハナシなのであれば、これは、ブラジルの「カポエラ」の話ともどこか似ている気がしました。

「カポエイラ」は、ブラジルへ強制的に連れてこられたアフリカの人々のあいだで、主人からの虐待から身を守るべく編み出された、音楽やダンスにみせかけた格闘技。
円陣を組んで太鼓や楽器が鳴らされ歌声の飛び交うなかで、2人の人物の体が交互に舞うように動きます。おおっぴらに格闘技の練習をするわけにいかなかったので、ふざけて遊んでいるように見せかけつつ発達していったのだと言われます。

それでは、どうして、小高く切り立った斜面に住む人々が、百姓一揆の頃からの伝統をあたためているのでしょう?
そもそも、なぜ、誰に対して、百姓一揆をしなきゃいけない状況が発生したのでしょう?

【2010年11月30日】
百姓一揆は、日本の歴史のなかで、恒常的に発生してきたものだというよりは、わりと、(土地ごとに)ある時期にピンポイントで発生したものだった気がします。

調べるつもりで調べたら、どんな農民がいて、どんな侍が来て、両者の関係がこうこうとなる社会構造で、‥と、それなりのことがわかりそうです。

しかし、歴史のことは、また後日に、取組む機会があることだろう、と思い、今回は深追いしませんでした。

集落支援の取組みの観点からは、盆踊りや秋祭りなどの行事ごとの運営が、集落ごとにどうなっているのかを知ることそのものに焦点をあてられたらよいのでないか、と思いました。

私の住んでいる≪新屋地区≫では、よその地区の盆踊りに呼ばれるくらい、さかんな踊りの取組みが続けられています。秋祭りのときは、前夜祭で、「三番叟(さんばそう)」という神事にかかわる儀礼と、村芝居の上演があります。祭りの当日朝には、「はやしこみ」といわれる、太鼓とかけ声からなる(?)練り歩きがあります。[※雨天のため見られなかった]

私の担当集落である≪実山地区≫では、盆踊りをしなくなってずいぶんと経つ様子です。秋祭りのときも、太鼓や笛のできる人がいなくなり (あるいは家人の病状が悪く出られなくなり) 上演ごとも練り歩きもありません。

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射添の盆まつり大会のときのたこやき屋台。

おじさんにたずねてみると、ふだんは、湯村のジャンボ西村さんというスーパーのところでお店をしているという。‥おお。私が怪我をしたところなのでした。

【2010年9月8日】

浜坂で、但馬の商工会女性部のイベント(セミナーとワークショップがあり、私は浅見さんのお手伝いでゆきました)へ行ったあと、帰り道に、湯村を通るので、たこやき屋さんへ寄りました。

おじさんは、うっすらと覚えてくれていました。

「今度、香住鶴(日本酒)の祭りにも行くから来てください」と言われました。

祭りあるところには、おじさんの姿がみえる、ということなのでしょう。

ひっぱりダコですね!

追記

【2011年2月26日】

村岡区で、雪まつりイベントがありました。

屋台の出店があるので、近づいてみると、‥湯村のおじさんでした!

私は、「いつから、たこやき屋さんのおっかけをしてたのだっけ?」

と自問しつつ、笑みがこみあげてきました。

雪祭りは、正直かなりびっくりしました。雪でつくった灯篭が、いくつ並んでいたのだろう。でっかいペイントされたカマクラも3つ以上ありました。音楽演奏のステージに人が集まっていました。素敵でした。

村岡で、この規模の雪まつりがあるのは、初めてじゃないかね、とおじさん。

ついこのあいだに、湯村で、ライトアップのある雪まつりがあったから、それを参考にしてもいるかもしれないね、とおじさん。

さすが、お祭り事情にはお詳しい。


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≫ 猪谷から神場、一二峠経由で村岡へ

【2010年8月6日】
小代の「水間(みずま)」地区から、「猪谷(いのたに)」「神場(かんば)」というところの山をのぼってゆき、「一二峠(ほいとうげ)」という峠を越えて、村岡へゆくルート。

途中、おもしろいかたちの屋根の家があった。

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023.小代と村岡 ~射添(いそう)エリア

【2010年8月6日】

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赤い着ぐるみのトマト大王以外は、みな挑戦者??

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たくさんのカメラに撮られ‥どんなところに掲載されたのかな~

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写真は、村岡ファームガーデンへ立ち寄ったときに、トイレに貼ってあったイベントレポートのポスターからのものです。(以下の話とは、あまり関係がありません。。)

小代に住むようになってから、村岡にある生鮮食品ショップやホームセンター、コンビニをよく利用することもあり、村岡方面へちょくちょく車を走らせます。

しかし、その途中にある射添エリアについて、まだ接点がありませんでした。

【2010年8月6日】と【2010年9月1日】の2回にわたり、
のぶよしさんという方が、射添地区について色々と教えてくださいました。

射添(いそう)地区は、村岡区にあります。

村岡区は、小代区のお隣りの区で、旧村岡町。もともと「兎塚」「村岡」「射添」の3つの村だったものが集まって町になっていたらしいです。(つい近年まで、兎塚、村岡、射添の3つの中学校があったらしいです。いまは一つに統合され、村岡中学校になっているそうです。)

「射添」は、3つの地区のなかでは、いちばん小代寄りです。小代(上流部分)から、香住(河口部分)にむけ、矢田川沿いに走ってゆくと、おのずと射添(中流部分)を通ります。

「村岡」と「兎塚」が、長いトンネルを抜けた向こうにあるのに対し、「射添」は、トンネルよりこちら側にあって、小代と隣接もしています。そこで、どうして「トンネルより向こう組」と、「トンネルよりもこちら組」の2つのまとまりにならなかったのだろう? という疑問がわいてきたりもします。‥と思っていたら、ある時期には、「小代」と「射添」がまとまった行政単位をなしていたりもしたそうです。けれども、歴史をさかのぼったときに、それぞれの地区の成り立ちの違いの部分も大きいらしく、分かれていることも自然なのだそうです。

のぶよしさんは、小代でお仕事をされていますが、お住まいは射添です。射添のなかでも、和佐父というところらしく、棚田(「西ヶ岡の棚田」ともいう)が有名なところらしいです。棚田でつくったお米がどんなものであるかを教えてくださいました。

その他、普段、小代から村岡へゆくときの、川沿いの平坦な道から出て9号線を通ってゆくルートとは別に、小代のなかの「水間(みずま)」「猪谷(いのたに)」「神場(かんば)」というところの山をのぼってゆき、「一二峠(ほいとうげ)」という峠を越えて、村岡へゆくルートがあることなども教えていただきました。「萩山」「板仕野(いたしの)」方面へ行くことができます。このルートについて教えてもらったことは、のちのち小代で暮らすなかで、糧になりました。‥じつに多くの人が、このルートを通じ行き来していた頃の記憶をあたためてらっしゃいました。「霊験場がありました。」「養蚕農家の家がありました。」「峠にへだてられた両斜面の集落どうしで、交歓盆踊りなどの行事がありました。」‥

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ところで、のぶよしさんが、地区のことを語るときに、郷土愛というものを感じました。

ひとつひとつの話は、「ここはこんな地区です」「歴史的にこんなでした」「地理的にこうなっていますね」「産業的にこんな具合です」といった事実のお話です。ですが、のぶよしさんが伝えてくださっていたのは、お話のなかで、ひとつひとつの事実がどうこうである、といったこと以上に、「郷土を愛していれば、これこれの話がおのずと湧き出てくるもんだよ」ということだったのだなぁ、と思いました。

そして、自然なことであるかもしれませんが、郷土愛は、ある程度、よそ者(他地域から来た人)とのあいだでも、分かち合えるもののようです。この時に、私は、人々の抱いている郷土愛のことを意識するようになって、以後、(小代で) 出会った人々が、色々な話をますます多く聞かせてくれるようになったような気がします。(毎日のように、色々な方に話を聞かせてもらう生活となりました。メモをとるのですが、それをパソコンへ入力する作業が追いつかなくなります。)

////////////
さてそれで、そんな、村づくりを愛するのぶよしさんが、職場の人との会話のなかで、こんなことを言っておられました。「地区の消防団での活動を大事にすることは、村づくりの秘訣のようなものかもしれない。」「(青年団のようなものに近いが) 消防団には、地区の若い人も年上の人も顔を出すので、世代を越えたつきあいの場になる。」

この話は、非常にインパクトがありました。

その後ほどなくして、自分の担当集落(実山)での、消防分団の活動の状況について、取材をしにゆきました。すると? ‥おおお!

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2010/11/27

022.ウスイロヒョウモンモドキの観察会があるらしいですよ

【2010年8月5日】

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稲穂の色が、左奥と右手前で違っているの、わかります?

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無愛想ではなく、無想。「無想」ってなんだろかな??

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2010/11/23

021. 「実山ってどんなトコ?」

【2010年8月5日】

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実山地区の奥のほうから振り返った眺め
(写真の水平が少し傾いていますね、車の荷台から撮ったためかな。。)

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奥の田畑は、段々になっている~♪
(あれ、この写真も斜めだ。私、姿勢が悪いのかな。。)

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2010/11/20

020.草むしりと枝おとし

【2010年8月5日】

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君のことをよく知らなくてごめん、コクワガタ君

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冬場の雪で垂れ下がる枝を切ってしまおう。

(↑ 冬といえば、もうすぐそこまで来ています。この写真からは、遥かなる夏の日、とでもいうような空気があふれていますね。早く夏になれぃ。)

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この日、競争率の高い難関をくぐりぬけた、県(兵庫県)の幹部候補生の方々が、研修の一環ということで実山地区へ一泊で来られたのでした。

ふだんは神戸におられる方々なのだろうと思います。研修のあいだは塩屋(?)の研修センターで過ごされていたのかな。この日は、まずはるばる播但線を乗り継いで、小代までたどりつく、ということが一大イベントである、とのことでした。

町の役場(小代地域局)で、宿泊などお世話になりつつ、作業をこの日(草むしり)と翌日(枝おとし)に取り組まれます。別途、直接にいろいろなコトを語らう「懇談会」ももうけられているのですが、体験作業を通じ、村の人と接するなかで、「≪条件の悪い集落≫での生活にふれ、どんな課題があるかを勉強してきなさい~!!」ということで、来てくださったようです。

‥え??  実山は、暮らしてゆくにあたり ≪条件の悪い集落≫ なの?
この話題は、次の記事あたりにのこしておきましょうか。。

さて、小代生活5日目の私も、県から来られた若手の方々と一緒に作業に参加させてもらいました。仕事の立場も最終目標も異なるながら、「実山地区での生活の内側からの、集落の課題の把握をしてきなさい~!!」という使命に関しては私のものでもあります。

この日来られていたのは、5名の方々でした。但馬では、実山地区以外にも、数々の集落が、「小規模集落元気作戦」のモデル地区になっているらしく、ほかの幹部候補生のひとたちもまた、他のあちこちへおもむき、視察や体験作業や懇談会参加をされている、とのことでした。

[草むしり]
集落のいちばん上(かみ)のところにある、お宮さんのまわりの草むしりをしました。もともとの木に寄生するように生えていた枝を切ったりしているときに、コクワガタをみつけました。(写真1枚目) 抜いた草や切った枝を集めて焼くのですが、焼いた火が燃えひろがらないよう、見張りました。
[枝おとし、道路の補修]
お宮さんより奥にある、山へ続く道の割れているところの補修と、長く垂れている枝や畑にかかって影が邪魔になっている枝を切る作業をしました。(写真2枚目) はるこさんが畑に出てこられていて、「あすこの枝がなくなるの、嬉しいわ~」と喜んで下さりました。

さて、県の方々とのやりとりは楽しいものでした。‥私も、ある面、「村にいる人だ」ということで、いっぱい質問をされました。「村のことを知ろう」として浴びせかけてもらった、幾多の質問が、その後の私の「アンテナ」や「好奇心」の土台となった気がします。

あさみさんはアドバイザーとして来訪、懇談会では、県の方々と村の人々のやりとりのナビゲーションをつとめられました。

あちこちの地区をまわりつつ、実山へも来てくださった、県の武田さんが、「元気作戦」の他のモデル地区にいるサポーター(支援員、私と同じ立場で動いているひとたち)のことをちょこっと教えてくれました。他の4名のひとたちへ思いをはせてみました。‥その方たちときっといつか会えるのでしょう!

【2010年11月6日】
その後‥3か月後、他の4名のサポーターと会えました!
「但馬元気村サミット」なるイベントに、実山区長さんと参加したときのことでした。各サポーターが自分の担当地域での活動の報告をする、という場面がありました。私は、「マイクロ交流」というトピックのなかで、≪ひとりひとりの人と、1対1で話をきいたりする作業≫を軸とした活動について話をさせてもらいました。

3か月前のことに思いをはせていました。

  • そういえば、県の人(Fさん)と一緒に、実山のはるこさんについて田んぼを歩いて行ったときに、もち米の稲と、うるち米の稲の境目のところで、色が変わっていることを見せてもらったなぁ。
  • 懇親会のときに、実山のいちろうさんが、「よそから来られた人に、花や生き物の名前を教えてあげられる人がいるというのも大切なことです。(≪植物のたたずまいや、動くもののふるまいなどに目をむける≫きっかけを作るという意味で)」ということをお話されていたなぁ。
  • 県のひとにも、植物や特産物などに詳しい方がいて(Oさん)、お味噌の話をしてくれたなぁ。(「いわゆる田舎味噌というのとは違った、上品な味のする味噌もあるよ」と。筆者が、「矢田川味噌」や「米地味噌」の味くらべをしてみたいな、と思うきっかけとなりました。)

【2010年11月3日】
小学校区のイベントで、PTCA活動(生徒と教師、地域と親を交えた活動?)の一環として、「香美町の観光資源や特産物についての語り方」を伝授する講演がありました。折しも、山陰海岸のジオパーク認定を契機として、「ジオパーク的観点から、風土をとらえる」という関心が高まっていました。なので、講演の内容も、「棚田米はどうしておいしいの?」「カニがどうして沢山とれるの?」「吉滝と要の滝はどちらが古いの?」といった問いに、「ジオ的」観点から(地質学的な説明をまじえつつ)、どうやって答えられるかが紹介されていました。

それにしても、≪「語り方」を伝授しつつ、「ふるさとを知って好きになってもらう」輪が遥か遠くまでひろがるようにする≫ のが、「ふるさと教育」だ、というのは、私にとり、その枠組みじたいが新鮮に思われました。これまでの都市生活のなかでも、郷土教育から話題のスポットめぐりまで、そういう場面があって、経験をしてきたはずなのですが、あまり気にとめて来なかった気がします。そうなんだ、今では小代では、小学生の時分から、そういうことを教わって(郷土愛も育まれて)いるんだ。‥ほんとに、ひゃー、なるほど! (ガッテンガッテンガッテン‥)

その日の講演は、(a) 「ふるさとを守る」(環境保全や治安) (b) 「ふるさとを元気にする」(経済振興) (c) 「ふるさとを知って好きになる」(教育や観光) の3つの関心を柱とするものだ、と紹介されていたので、私は3つめの関心の部分で大きく揺さぶられていた、ということなのでしょう。

【2010年8月5日】
もう一度、3か月前へ戻りましょう。夏の陽光の写真をたくさん撮っていました。写真、結構な枚数を撮ったのですが、なにか血肉になったものがあったでしょうか??  いま思い起こすと、漠然と「うつくしい国土」というような言葉でしか言えないようなものの印象が深く刻まれています。 (とはいうものの、「うつくしい」ということを口にし始めると、なぜかなにか危うい気もするので、今はこれ以上は言わないでおきましょう。)

たぶん、自分は、小代に住んで、実山地区をとりまく暮らしや風土について、「知って好きになる」ためのいざないを数限りなく受けとめる日々を、今日まで過ごしてきただろうと思います。そして同時に、それが(ここでの暮らしや風土が)、「自分を養ってもくれる」ふるさととして、守るべき、元気にするべき「ふるさと」として、迫ってきている心地もあります。しかも、「そう易々と守れるものでもない、そう簡単に元気になるものでもない」という現実とともに。

「本当に、いったい何ができるだろう??」と問いなおしている自分がいました。

なにか、うつくしいと思って、心に刻まれたものがあったのだとするならば、それにも向かって。

【2010年11月20日】

実山日和。小代での滞在の、折り返し点をむかえている、という心地になりました。

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2010/11/19

019.タイ料理

こちらへ来て、人の名前や会社の名前に、「○垣」、と垣(かき)のつく名前の多いことが気になりだしたのは、いつの頃だったでしょう? 

植垣。門垣。上垣。前垣。西垣。‥

「あなたの会った人は、なんという名前の人でしたか?」 とたずねられ、その人の名前をおぼろげにしか覚えられていなかった私は、「なんとか垣さん!」と答えました。そしたら、「そんなもん、いっぱいおるから、わからんわ。」と言われたのが、まだ昨日のことのようです。

【2010年8月4日】
村岡区に、タイ料理屋があるのをみつけました。
その日は、なぜかタイづいていて、朝に、携帯に電波の届くエリアまで車を走らせて、メールをチェックしていたときにも、タイでのムエタイ(キックボクシング)修行の経験のある友人より、新居へお越しください、との案内メールが届いていたものでした。

それにしても、こんなところでタイ料理屋をみつけるとは思いませんでした。お店をやっているのは、若い方で、お客さんも若い人が多かったです。女の子の3人づれもいました。
たずねてみると、高校のときの同期の集まりで、小代にすんでいる、という子が2人いました。‥そのうちの、1人が、「なんとか垣」さんだったのです(笑)。

料理屋のマスターは、ドラムや打楽器をしている音楽好きの方で、店の一角にも、お店で開催されるイベントの案内や、バンドのメンバー募集などが書かれていました。

――どうして、またタイ料理を。何かご縁があったのでしょうか? (:と、いのりが尋ねる)
(マスターが答えて) 鳥取に、有名な店なんですが、タイ料理屋があったんです。それで、自分もやってみよう、と思いました。去年の秋くらいからやっていますよ~。

などなど。

自分も音楽が好きであることを伝えると、「但馬でのロックフェスティバルがあるんです」とチラシをくれました。

‥それが、なんと、その朝に届いた友人からのメールの、新宅での茶話会(in 大阪) と同じ日に開催。 色々と迷って、会社でも相談をした(^^)のですが、結局、「大阪知人宅での茶話会に参加すれば、実山のことをしってもらうことができ、交流人口が増えるかもしれない。」というシナリオを選ぶことにしました。

但馬のロックフェスティバルよ、また会う日まで。
**

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若いひとが沢山でて来ていましたよ

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人の集まりづくりに積極的に取り組まれている様子でした♪

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2010/11/18

018.お隣さん・ご近所 3 ~「石垣をへだてて」の巻

家主さんの奥さん、なみこさん。じつは、この方、胸のうちで、「家主さんに~~を尋ねないといけないなぁ」「~~をお願いしないといけないなぁ」と唱えたときに、すぐお会いできるんです。現在のお住まいは神水(かんずい)地区で、新屋からは5km以上離れています。しかし、お借りしている家(オフィス)のことで何かあったときには、すでに、なみこさんが、新屋にいるのです。いつも不思議に思っています。家の掃除に来たとき。盆踊りの少し前のとき。秋祭りの少し前のとき。寒波が訪れて寒くなったとき。家の備品について、疑問に思ったとき。
秋祭りのときなんかは、私の行動がふだんより少し早いタイミングだったのか、家主さんの家に向けて出発して、坂をおりはじめたところで、車ですれ違いました。家が生きていて、私のむずむずを察知し、なみこさんと家とのあいだで、交信が成立しているのかしら。(……)

【2010年8月1日】
この日も、まさにそうでした。私は、獣害レンジャーに参加していて、ひととおりの作業的なことが済み、いちおう解散前に、「吉滝」というスポットの観光、という予定もあったのですが、水間地区の家を利用した学生さんたちが、家の片付けや撤収作業などをしているあいだ、吉滝へゆくまで時間が少しあります。

私は、前日に引っ越してきたばかりであることもあり、ご近所さんへの挨拶をしなくちゃ、と、思っておりました。

この空き時間を利用して、水間より新屋へ戻り、ご近所を訪ねてみようかな、と動いたのでした。

そしたら、新屋の家の前には、なみこさんがいるではありませんか。

ちょうどよかった、と、ご近所の方々について教えてもらい、訪問・挨拶をさせてもらいました。どの家に行くにも、坂道を通り、家の土台に石垣のあるところが多かったのが印象に残りました。1軒、お留守のところがありました。今日はここでやめにしよう、と、なみこさんと別れ、おじろん(吉滝へ向かって出発する前の集合場所)へ移動。そしたら、ちょうど私の着いたときに、他の車3台が動き出しました。

よきタイミングの女帝、なみこさんの話はここまで。

さて、なみこさんが新屋へ来ていたのは、その日の晩に、地区の会合(新屋地区臨時総会)があることを私に知らせるためだったようでした。区長さんに、私の新屋への到着を知らせてもいてくれたようで、その晩、新屋地区の方々(各世帯の代表の方、50数人)の前で自己紹介をさせていただきました。

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(新屋地区・うちのすぐご近所) あじさいをみて、嬉しくなるのはなぜ? 

あじさいといえば、このあいだ、

柤岡地区の大池~キャンプ場あたりへ行ったときに、長く続くあじさいの木の連なりを見ました。かなり長かったです。新屋も、【2010年10月11日】に、新しいあじさいの苗木を植えたところです。‥柤岡地区のあじさいの連なりについて、新屋のたけのおばちゃんが、「新屋も負けたなぁ」と口にしていました。

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2010/11/14

≫ OSJ 氷ノ山山系トレイル - プチ実況

【2010年11月14日】
今日は、住んでいる新屋地区での消防団関連の作業に参加してきました。
作業の終わり頃、ランナーの姿がみえ、応援する声援がきこえてきます。
なんでしょう??

今日は、ロングトレイルのレースが開催されていて、小代のいくつかの地区がコースのなかに入っているとのことでした。
今年の1月を皮切りに、日本のあちこちで開催されてきたレースの10回目(最終戦)が、ここ氷ノ山山系エリアでの開催だそうです。
氷ノ山は、このあたりでは一番大きな山ですね。雪が降るのも早かったらしいときく。
今回のコースはきくところによると、高原をなぞる道あり、山岳の林道あり、渓谷へと下る道あり。ゴールは、村岡区の兎和野高原。
80km の、高低差もあるコースを全部たどると、所定の時間内にゴールに着ける人は全員ではないだろう、と予想されているそうですよ。

[ 実況としての記事を書こうと決意したので、終わる前に書かなくちゃ≡3 ]

●コース全体の終盤部分に。
新屋地区は、上の「とちのき村(南部高原)」のところにチェックポイントがあるらしく、そこがゴールの8km 手前。私のいた、家の近所は、そこよりさらに 4km 手前のところです。地区の交流センターの手洗い所を、大会向けのトイレとして利用してもらっている様子でした。

●早朝に出発、深夜12時までにゴール!
さて、この新屋地区のチェックポイントが、21時になったらクローズになる、との話をききました。つまり、選手の皆さんは、21時の時点で新屋地区にたどりついていないと、それより先のコースを進んでゴールインができないわけです。

●夕方の時点で。。
夕方17時18時の時点で、大会参加者(全体で270人ほど)のうちの、25人くらいしか、まだ新屋地区へたどりついていませんでした。

●20時の時点で。
新屋地区の通過者が108人。(山の上の「とちのき村(高原)」の通過者が70数名。あとの40人ほどが、まだそこへ向かってあがる山道にいるわけです。)
21時でしめきられる、というのに、まだ半分にも達していない、というのは、すごくないですか??

●新屋から「対岸」をみる
ランナーは、夜になると、ライトをつけて(額や頭上)走っています。
このライト、最近のものはLED でできていて、単4電池1個でも、ものごっつ明るく光るらしいです。矢田川の谷をへだてて、「対岸」の佐坊/貫田側をみますと、見えるんです! ランナーが、まだあんな遠くの山の上の林道にいる!

●「あのひとたちは、21時までにここにたどりつけない!」
大会のチェックポイントどうしの距離や、トレイルランの走者の走る速さに詳しいひとの話では、≪あの「対岸」でLEDを光らせ走っている走者の方たちは、あと1時間では、こっちには来られないだろう(谷をすぐに下っている道ではなく、林道のコースが、かなり長くとられているらしい。)≫とのことでした。

●トレイルの距離が80km ではなく、90km くらいあるのでないか、との噂。
途中の、佐坊のチェックポイント(「対岸」の側。氷ノ山より、峠をこえて入って来たひとたちの最初のチェックポイント。最初の小代内スポット??)での話では、「65km のチェックポイントなのだが、75km くらい走っていないとおかしい。(かかった時間や、GPSの値などを考えると)」という声があがっているそうでした。「10km の差は大きいですよ!」との声も。

●残る20分ほどです。皆さん、がんばって、新屋地区を通過してくださいね!

OSJ氷ノ山山系トレイル50マイル
http://www.hachikita.jp/osj.html
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OSJ - Outdoor Sports Japan
http://www.outdoorsports.jp/
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2010/11/13

017.獣害レンジャーの活動

【2010-08-01】
獣害レンジャーとしての出動に参加してきました。

実山集落から、裏の山へのぼったところにある畑2箇所を6人ずつくらいで担当したのですが、これがかなり奥へ奥へ、高いところへ登ったところにありました。

「どのくらい上なのか?」――このブログのページの上部に、実山地区の、集落部分を写した写真がありますね。この画像がパソコンのディスプレイの上部に表示されているとしましょう。‥そうすると、パソコンのディスプレイをもう1枚上に足したときの、同じ位置くらい、といっても誇張ではないのです!

小代の人の話を聞いていると、「上(かみ)にある」「下(しも)にある」といった表現で、位置関係を示す(川の上流部分にある、下流部分にある、山の上のほうにある、ふもとにある、などなど)ことが多いようですよ。そして、「上(かみ)」という代わりに、「そら」と言われるときがあります。「今日は、そらのほうの田んぼへ行ってきたでな~!」のような。

そうなんです。「昔は、あのもんだ、ずっとソラのほうまで牛を連れて放牧しに行ったもんだで。」といった言い方をすれば、だいぶ小代風になります。

**
さて、ソラにある畑での作業。家からかなり離れたところであるのですが、なかなか広い土地で耕作をされているようでした。みきおさんとふみおさんの畑でした。
それでも、昔に比べると、ずっと田も畑も減った、とのお話でした。
ただ、そこより上に、家もなく、牛舎も何もないから、水がとてもきれいだ、とのことでした。昔は、わさびなども作っていたのだとか。

ソラの耕作地でつくるほうが、(シモでつくるよりも遠いので)手間がかかるわけですが、昼夜の温度差が高いこともあり、米はひきしまったものになり、野菜は糖度があがり、いずれにしても、おいしいものがとれるのだとか。

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作業のあいまに、渓流のようなところで冷やしてあるお茶を飲みに行きました。すると、自然動植物系の学生の人が、水のなかで、色々なもの(昆虫や魚、動物など)をみつけているではありませんか。私だと、ただお茶を飲んで終わってしまうところなのですが、その学生さんは、オオサンショウウオまで見つけてしまいました。
Mg0137_2 水のきれいバロメーター?? オオサンショウウオ発見!

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作業が無事に済んで、ひと風呂あびてから吉滝という滝をみにゆくことになりました。吉滝へ着くと、「風呂あびる前に、もうひと野外活動をしよう」と先に滝方面へ出ていた学生さんたちとすれ違いました。久須部川の上流でみつけたのでしょうか、ごつい体の蛙を水槽に入れて帰ってゆきました。
Mg0149
両生類を好きな彼がかわいい蛙をゲット

私だと、ただ渓流の流れにマイナスイオンを思い描いて終わってしまうところなのですが。。さすがですね!

この獣害レンジャーの活動では、但馬県民局の豊岡農林の方にお世話になっています。猟師になるための講座などの開催をしたりもされている方らしく、面白い方だよ、と新屋オフィスの家主のかくおさんからも話を聞いていました。この獣害レンジャーの一行が泊まらせていただいた水間地区の家では、おみやげにイノシシの肉までいただいていたようで、私のほうでも、おすそわけをいただきました。

夏祭りの見物や、吉滝の観光までさせていただく盛りだくさんなプラン。
色々とお世話になり、ありがとうございます!

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2010/11/12

016.兵庫県とのご縁

小代での初夜(!) の後半戦は、新屋のオフィス(兼家)にて。

県職の方が泊まってくださるということになり、わが社の浅見氏とともにテーブルを囲んでなごやかに過ごさせていただきました。

県の方は、但馬じゅうを駆けめぐってお仕事をされているN氏で、このひと晩のあいだにも、沢山のことを教えてくださりました。地形や風土の話、農業政策関係の話題など。

県の方の話に促されるようにして、私の脳裏では、自分(大阪在住30数年)のこれまでの人生のなかで、兵庫県とのご縁がどんなものであったかが、スキャンされていました。

思えば、自分が子供の時分は、兵庫県とは神戸のことでした。
母が、週に1回アルバイトで、東灘区のあたりの喫茶店へ行っていたのです。音楽好きの人の集まる老舗のお店(もともとは大阪梅田新道にあったものが移転)でした。阪急神戸線の岡本駅あたりでした。そのエリアは、通りを歩いているだけで、いい匂いのしてくる、という印象がありました。ショーウィンドウの向こうでは、おいしいパンやおいしいお菓子が湯水のように沸き出ているエリアだったのです。

中学生の頃になると、合宿でハチ高原/鉢伏山へ行きました。夏だったのか? 冬だったのか? 両方だったのか??  地理の授業のときに、「そのエリアの立体地形図を作る」という作業のおまけつきです。立体地形図は、分厚い画用紙を標高線に沿ってくねくねと切ったあと、山脈の形になるように段々に重ねて貼り合わせてつくります。★思春期の頃に、私は、関宮から村岡を経て、小代(高丸山)を越え、氷ノ山あたりまでの山脈一帯を、自分の手で触ってすごした、というわけです。いま思い返しますと、たいそうなご縁です。

20歳過ぎの頃に、震災があったとき、海側に住んでいた親戚や知人をたずねて歩いていったりもしました。

他方、いとこのお兄ちゃんが、仕事で丹波エリアに住むようになっていました。また、自分は、仕事先の同僚と一緒に、出石や竹野など日本海側へ出たりするようになりました。

一番最近は、業務用冷蔵庫などの搬入設置業で、遠方担当になったときによく通いました。姫路や西脇市にとどまらず、朝来市や養父市まで来るようになっておりました。この頃になると、兵庫県のデカさを、徐々に体で知りはじめた、というわけです。養父市八鹿の市街地へ来たのは、1月下旬のことで、雪がそれなりに積もっていた日でした。道中に車の事故などを見たりして、路面凍結の怖さを知った日でもありました。

などなど。

さて、7月31日の晩は、思いを新たにしつつ、兵庫県さんとの新しいご縁の喜びをかみしめつつ、更けゆきました。朝方4時半くらいまで、なごやかな時間が続きました。

**
◆8月の朝来市。山東町のあたりだろうと思われます。
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平地の敷地のそれなりにたっぷりとあるところでは、人々は斜面に住まない、のでしょうか??

◆小代の吉滝にて。【2010-08-01】
Mg0157 滝の裏側へゆけるんです♪

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015.小代の夏祭り

【2010-07-31】
新屋のオフィスへの引越しが完了したのが7月31日。
手伝ってくれた人が、夕方前、家のすぐ近所の秋岡というところを出る最終バスに乗り、大阪に向け出発。その40分後くらいに、最初のお客さんが到着しました。

兵庫県(県庁)の方でした。

ちょうど翌日の、「獣害レンジャー」という組織が出動して、サル対策の電気柵を畑に設置する、という作業を控えてのことでした。
朝早くからの作業なので、前乗りで、皆さん泊まってスタンバイされるわけです。「獣害レンジャー」としては、おもに大阪方面から、20歳前後の若い人を中心に、10名ほどがかけつけてくれていました。自然環境 / 動植物系の専門の学生の人が多かったようです。

この日、小代では夏祭りが開催されていました。

熊の研究をするためにアメリカの大学より来ている、というひとの滞在する広い家をお借りして、若い人が自分たち向けに、とご飯をつくっていました。それを、われわれも一緒にいただくことになり、およばれしました。それから温泉施設「おじろん」でひと風呂をあび、夏祭りの開催されている会場へ行ってみることに。

なんだなんだ?
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なかなか人がたくさんいて賑わっています。
若い人たちで結成されている様子の団体などもあり、
祭りという名に相応の盛り上がりでした。

ステージイベントなどもあり、但馬牛のことを紹介する寸劇などのほか、手品(少しセクシーな手品?)や歌謡ショー(松田聖子役として聖子ちゃんの歌の数々を披露する、聖子ちゃんの雰囲気をまとった芸人さん)などがあり、なかなか華やかでした。

地元の中学生の子らでしょうか。ステージの最前列で、ノリノリのからみで、会場側からも盛り上げます。あまりの熱気に、大阪から来た学生さんが、圧倒されてしまうひとコマもありました。

あとでわかったことですが、小代全体で、人口が減っていると言われながらも「非常に子沢山で元気だ」という風にみえる集落がいくつかあるにはあるようだ、ということでした。他方で、実山地区のように、もともとの人数規模が小さいこともあって、過疎化と高齢化に悩む集落もある、ということのようです。

この日は、実山地区のひでおさんが、ずっと一緒にいてくださっていました。
それから、ひろもとさん、という方と初めてお会いしました。小代の味覚だよ、とチョウザメの寿司などを教えてくださり、歓迎してくださいました。
また、以前に一度お会いした、のぶよしさん、という役場の方が、色々とお話をきかせてくださいました。
売店でお茶を買うたびに、面白いやりとりでからんでくれる方々もいました。
音響のPAは、日本海側の町から出張で来られていました。音楽活動をされている方で、またお会いできるといいですね、と話をしました。

――小代に住むことになった最初の晩、の前半戦でした。

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獣害レンジャーの学生さんたちが、「聖子ちゃん」と記念写真。

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2010/11/11

014.お隣さん・ご近所 2 ~「集合住宅で扉全開」の巻

【2010-07-25】
大阪の市内から、小代への引越し作業をしている間のひとコマの話です。
≪お隣さんと、どうやって話をするようになったか≫

当時まで私は、ワンフロアに8軒ほどの家が並び、7階建て、という集合住宅に住んでいました。部屋に洗濯機の設置のできないワンルームで、1階の駐輪所の脇のコインランドリーで洗濯をするという感じの暮らしです。エレベーターで一緒になったひとや、洗濯の行き帰りに顔をあわせた人と挨拶をしたり、少し立ち話をしたり、というくらいの近所づきあいです。

一人暮らしの世帯が大半で、仕事にでている時間もまちまち。実際のところ、なかなか顔をあわせることがありませんでした。大阪キタ(梅田)やミナミ(心斎橋)から近かったこともあり、1日に、用事で出たり入ったりを繰り返す、というような日もありましたが、それでも、あまりご近所さんとあわない。自分が引越してきたときに、両隣と上下の階には挨拶をしておこう、と思い訪問をしてみましたが、いついっても留守で、5回目くらいで、やっとお会いすることができた、という家があったことも思い出されます。

とはいえ、いま、隣近所の方々と顔をあわせることが頻繁だ、と感じるので、それに比べて「少ない」のだと、思い出しているかもしれません。当時は、それでも、顔をあわせたり、話をしたりする機会が、まだ「あるほうだ」と思っていたような気もします。

さてさて。去年の秋、空いていた隣に、新しく人が引っ越してきた様子でした。若いかたのようでした。〔中略〕 結局、仕事に出るときなどに、姿を何度かみかけるどまりで、ずっと話をしたりすることがなかったのです。

ところが、10ヵ月後のこの夏。私が引越しをすることになり、そして、向こうは、冷房機の調子が悪く、玄関の扉を開けたままにすることが多くなりました。すると途端に、交流が始まったんですわ。不思議なものです。

集合住宅では、住宅のつくりにもよる面ありますが、扉がしまっていると、家にいるのかいないのか、住んでるのか住んでないのかが、ひと目ではなかなかわからないんですね。
しかし、扉が開いていると、前を通らなければいけないので、なんとなくわかります。今、料理をしてはるな、とか。‥ことに、お隣さんの、扉の全開具合はすごいものでした。ちょっとすき間をあけている、とかではなく、全開。そして、そのまま(お隣もワンルームです)そこで寝息をたてていたりしはるんですわ。

いま思えば、画期的なことでした。私が引っ越したあとも、同じフロアの他のひとたちとの交流ができてきた、という話を、あとでききましたよ。

思い出してゆくと、たぶん最初は、「暑いですなぁー」とかそんなやりとりでした。次に、私が、もう少し遠く離れた、ご近所さんよりいただいた、さくらんぼを、お隣がいてる、とわかったときに持っていったんではなかったかな。そうしたら、お隣さんが、妹さんかいとこのひとだかが、和歌山でつくってるんですー、と夏みかんを持ってきてくれました。ぎんぎんに冷やして食べたらうまいですよ、と。

結局、「お隣さんのお部屋見物」ということで、うちへも来てもらいました。お酒を飲みつつ、色々とお話。
和歌山の勝浦~新宮あたりの、海側ながら山もせまっていて、自然豊かなところにもともと暮らしていた、とお隣さん。当時仕事が少なくなっていたらしく、大阪へ出てみようと思った、とのことでした。飲み水や空気、夜空の星など、自然環境の話題などがでて、「なかなか、コンクリートジャングル(大阪)で暮らすのに、慣れませんわー。」といった声も。

私が、自分のこれから滞在する先(小代)について、どうやら自然の豊かなところらしいですよ、と話をし、小代の観光協会でもらったパンフレットを見てもらうと、かなり興味をもってくれたようで、1つさしあげました。

その後、そのお隣さん。連絡やりとりなどをしつつ、ご縁が続いて、秋の稲刈りのシーズンになったときに、大阪より小代まで来てもらうことになったんですわ。実山で稲刈りのお手伝いまでしてくれました! 村岡くらいまで来たときに、空気がおいしい、と喜んではりました。実山の田んぼまで上がる斜面のけわしさに驚いてました。牛舎をみて懐かしいといってました。‥などなど。

都会に暮らしておられる皆さん、いかがですか!
玄関の扉を全開にしてみることから始まる、ご近所づきあい(?)。

‥そういえば、養父の初田さんより、このあいだお話をきかせていただいたとき、
「熊手を持って、丈の短めのズボンをはいて家の前を歩いていた」ことから、ご近所のかたがからんでくださり、思わぬところへ展開してゆく出会いとなったわー、というようなお話がありましたよ。

「熊手」が決め手であったかどうかわかりませんが、「熊手」は印象に残ります。おもしろいですね。

**
当時の写真を2枚。
◆ 引っ越し作業をしているあいだに、当時住んでいた区域のお隣の区域のお祭りが、(自分の住んでいた区域のものと違って)かなり規模の大きいお祭りである、ということを知りました。6年間住んだのに、いざそこを離れる、というときになるまで、出会わなかった、というのはなかなか因果なものです。
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みこしの上に人が乗っているのですが、最上段が男子、中段には女子が乗っていました。

威勢がよかったですよ~♪
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◆ 小代の新屋(にいや)地区の家へと帰宅するときにみえる、対岸(お向かいさん)の集落にともる灯り。
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山の中腹に家があるなんて、と初めはびっくりしたものでした。

「標高の高そうなところ」や「斜面」に住宅がある、といえば、神戸方面でもあちこちにあるのかもしれませんね。わが社の本社も、周辺道路の「斜面」のけわしさは、ただものでなかった気がします。また、宝塚より西側へ入った西宮名塩のあたりでも、斜面の活用度の高いところがありそうな気配を感じました。棚田をみかけたような気がします。

‥「斜面」を目にするだけで、親近感を感じてしまうこの頃、でした。
「斜面」萌え? 「斜面」フェチ??

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2010/11/04

013.雨、雨、晴れ、雨。

雨、雨、晴れ、雨。

他地域もそうであったところ多いかもしれないですが、10日間以上のあいだ、ずっと雨降りでした。小代よりこんにちは。やんでいるかな、晴れ間が見えてきたかな、と思っていても、すぐまた雲がでてきて降り出してました。標高の高いところでは、霧のような雲のような白いもやもやがたちこめて、蒸気のような雨にやさしく包まれていました。(あるいは、びしゃっと吹きつけられていました。)

雨が降るごとに、朝晩の冷え込みがきびしくなってきているかもしれません。もともと寒がりなので、客観的にわからないな、と思い、町の時計屋さんで温度計を買いました。

4日前の晩は、かなり久しぶりに星空が見えました。しかしその後すぐまた曇りになって雨が降りました。3日前は晴れ間のひろがる時間帯があり、その後また雨が降るのですが、あいまで一瞬、虹が架かっているのをみることができました。(大谷の大平山荘側斜面から北東の方向(?)に向かってみえました。) 2日前も同じような具合。しかし晴れの時間が長く、久しぶりに太陽をまぶしいと感じました。昨日は、「もう降らないだろうか??  もし降らないなら、いまがチャンスだ。次に降るときは、もう雪であるかもしれない。」と思い、熱田(無住集落)という、小代のかなり奥地に相当する、冬場はゆくのが危険であると思われるエリアへ行ってみました。

熱田では、数十年前、まだ車もたくさん走っていない頃に、買い物帰りの女性の一行(8人)が歩いて山道を帰宅している途中に雪崩にあう、ということがあったらしく(亡くなった方もいた)、それ以降、小代の中央部に近い野間谷という集落の越冬住宅へ、みな移って来ることになったそうです。私が今回、熱田エリアへ足を運んでおきたい、と思ったのは、冬が近づくにつれ、熱田の話題をよく耳にしていたことを思い出したのと、雪崩が起きたと言われているエリアの地形がどんなであるか確認しておきたいと思ったことが背景にあります。

私の住む新屋(にいや; にんや)というエリアは、熱田や備といったエリアに近いためか、地区総会を合同で開いたりもしていたようです。うちのそばにある神社の名前も熱田神社です。集落間で同じ苗字の人もいらっしゃったようです。いろいろとゆかりがあったのでしょう。

さて、私は、気象のことはよくわかりませんが、(上述の)霧のような雲のような白いもやもやをみかけるのは、茅野という隣の集落から新屋エリアへ上がってくる坂道でのことです。夏からこの地に住んで、もうすぐ100日くらいになりますが、夏の頃から、朝晩にしょっちゅうみかけました。実山から、あるいは小代の商店街のある中心部エリアから、自分の住む新屋エリア(標高が高い)へと移動してくる道中の、終盤部分の「長く続く坂道」なのですが、当初は、その白いもやもやをみたときに、「ひんやりしたもの」を感じていました――ちょうど、『シックス・センス』(The Sixth Sense, 1999年アメリカ)という映画のなかで、主人公のひとりである少年の前に「幽霊」が悩み相談に現れるときに決まって吹きつける「冷たい風(白く吐く息)」のような感じです――そして、自分の家の玄関(北向き)の扉をあけるときにも、もう1回みぶるいをしていました。実際に、温度が低かったせいかもしれません。(小代の入口近くの神水と、こちら新屋とでは、温度が3度くらい違う、と言う人もいました。) 商店街へ買い物にゆくおばちゃんも、家をでるときに来ていたコートを、店に着いたら脱ぐ、と言っていました。

とにかく、昨日今日と晴れ間がおおく、それだけでなにか嬉しく思うこのごろでした。近々、たまゑさんの家の庭木の手入れにも行けるぞ!

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上の話のひとつひとつに画像がつく予定だったのですが、いま転送の調子が悪く、添えられませんでした。また後日、この日記に追加するかもしれません。(もやもやの画像? 虹の画像?? ‥それはお楽しみに。)

【2010年7月26日】
そういえば、引越しをしてくるときの、車での第2便めのときも、雨降りでした。プロの引越し屋さんとの折り合いがつかなかったりもして、素人引越しをしておりました。会社の方をはじめ、お手伝いくださった皆さんありがとうございました。

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引越し第2便目のとき。この頃は、もやもや雲も棚田も何も知りませんでした。

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新屋です(手前)。【2010年8月4日19時】
急な斜面をも利用した耕作地。お菓子みたいにきれいでしょ?
キャッチボールでボールを逃したら、川まで転がっていきますよ。



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