03. この時。。

2011/04/09

≫ 窓を開けば

【2011年4月9日】

家主さんところのお母さんが、オフィスと台所の窓にかぶせてある雪よけをはずすのは、きっと今がいい、と言って、手伝ってくれました。

まだ夜は石油ファンヒーターをガンガンたいていることがありますが、換気がしやすくなるのはありがたいことです。

窓を開けるのが遅いほうであったかもしれません。

【2011年3月28日】

小代俳句教室で、こんな句がありました。

  • 山笑う 人は暮しの窓開けて

これをよんだ方は、もうとっくに窓を開けておられたのでしょう。
山笑うという言葉がわからなかったので、たずねてみたところ、季節ごとに、
山はいろいろするのだ、ということを教えてもらいました。
こんな句もありました。

  • 青竹の肌すべり落つ名残り雪

  • 髭男 水掬うごとく子猫抱く  (すくう)

  • 頑張れのドラえもんの毛布 避難所へ

実山地区から参加されてる人の句はこんなでした。

  • 転勤の医師の目頭 梅ふふむ

  • みんな顔上げてゆく村 山笑う

山笑うのかぁー。
梅ふふむのかぁー。

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もろもろがまだ進行中でもあり、
地区内での、神戸イベントについての報告会をまだこれからする、という状況でもあります。
ですが、3月の末日が過ぎ、節目をそこに置いて動かれている方々が多いとも思われます。

仕事としてのひと区切りをいったんつけることになります。
お世話になりました方々、どうもありがとうございました。

今後ともどうぞよろしくお願いします。

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2010/12/30

≫ 雪景色 (1st edition)

【2010年12月29日朝】
朝、ゴミを出しに行った。

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2010/12/12

≫ 空気が澄んでいる

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かねこさんの家の中庭にて。大きな木の切り株を運ぶお手伝いをしました。
「これから、とち餅をつくります」と、かねこさん。

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しおらしく首をうなだれた大根たち。

Nads5250_2実山地区の南側には、筆川という川があり、絶壁になっています。
‥という写真なんぞを撮ったりしているあいだに、きちろうさんに置いていかれます。

Nads5255「神戸から来ました」という廃品回収の業者さんに、モーターがありますよ、ときちろうさん。

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家へいったん戻りましょう、となつえさん(きちろうさんの奥さん)。

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2010/12/11

≫ 実山にも日が昇る

【2010年12月2日】

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ある1箇所から撮った3枚の写真。9時53分でした。
(1枚目)家並みの屋根がみえますね(手前)、実山集落です。
まだ影になっているところがあるのに注目です。
まだこれから日が昇る、というわけです。

(おなじく1枚目)左手前の木がこんもりしているところは、お堂です。
(2枚目) お堂のところのすぐ裏には畑があり、そこより上(カミ)に、段々になった田んぼが続きます。(3枚目)

↓ 上の写真を撮るより少し前。写真の奥のほうは、もう日なたになっていますね。あちこちで、次々に太陽が顔をみせてゆく状況のようでした。「日が昇る?? 当たり前じゃないか!」と、日当たりのよいところに住む人なら、思うかもしれませんが。。

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まだのところは、草が朝露とともに凍っています。

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実山地区は、隣の平野地区・茅野地区と一緒の編成で、消防分団をやることになっていますよ、とたけしさんが教えてくれました。たけしさんは、役場につとめてらっしゃる若手の方です。小代では比較的火事が少ないそうです。きれいな車庫ですね。

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2010/12/01

33.クマに注意。

【2010年8月19日】
たまゑさんのところで、クマの被害を伝える新聞記事をみました。

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2日に牛舎の中で男性が襲われ、その牛舎の横に設置した檻に、4日体長1.45メートルのクマがかかった、ということが書かれています。

Nads_2988_2 看板はあちこちに立てられています。

9月のあたまに、目撃した人の話をききました。
9号線の、熊波地区に入るところの近所にある歩道橋のたもとで、そのできたばかりの新しい歩道橋のチェックをしている様子だった(クマが)、とのお話でした。
その後、クマは、左右の安全確認をしてから、9号線を渡って、向こうの山のほうへ去っていったそうでした。

【2010年9月14日】
オフィスへ戻るのが夜遅くになったときのこと、私も熊をみました。
県道沿いの貫田地区のあたりで、車の前を横切りました。左手(川のほう)から右手(林のほう)へ。車の音とライトに驚いたのか、こっちをみたあと、ありゃりゃ、という感じで移動していきました。口にくわえていた野菜のことが見つかって気まずかったのかな。

10月下旬、オフィスのプロパンガスを買っている業者の今井さんが、8月あたまに牛舎で噛まれたひとは、「ひたいの皮が、フランケンシュタインのようにめくれた」傷だった、という話をされていました。

【2010年10月29日】
実山のきちろうさんと一緒に、大谷のよしおさんの牛舎まわりのお手伝いに行ったとき、よしおさんは、こんな自己紹介をされた。

「きっとご存知だと思いますが、あの、8月あたまに熊に噛まれた家です」

襲われて噛まれたのは、よしおさんの息子さんだった、とのことであった。
「おお。フランケンシュタイン的傷の!」

80kgほどの小熊であったらしい。飛びかかられたとき、はじめは何がなんだかわからなかったそうでした。朝鮮に拉致されるのだろうか、と思った、とのことでした。

結果的に幸い、怪我で済んだのであったが、ばい菌が入っているかもしれないということで、手術は難航し、翌朝4時までかかったといいます。
2日後の5日未明に、よしおさんの牛舎の外にあった檻に、120kgほどの熊がかかったそうでした。
檻に入ったものの、扉が数時間のあいだ閉まらぬままで、扉を閉めようと奮闘をおこなったのはよしおさんだったとのお話。
その後、5日の14時頃にようやく、熊は麻酔をうたれ、8人がかりで運び出され、山の上へ連れて行かれたそうでした。120kg!

専門家のひとによれば、クマは、こちらから怖がらせたりしなければ、また、不意にばったり出会ってお互いに驚いた状況だったりしなければ、襲ってこない、との話。よしおさんの息子を襲ったクマは、小熊であり、急に現われたよしおさんの息子をみて怖くて無我夢中で襲った、ということなのでしょうか。

山を奥のほうへのぼりはじめたところにあるよしおさんの牛舎は、すぐそばが森林。
時間帯によって、熊の居場所が変わっていることが、鳴き声などからわかる、とのことでした。
熊の動きは、あたかも、よしおさんの活動が終わる夕方の時間帯をみはからって、近づいてきているようである、とのこと。
人間とクマが、うまく共存できているのだよ、とよしおさん。


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2010/11/30

023.小代と村岡 ~射添(いそう)エリア

【2010年8月6日】

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赤い着ぐるみのトマト大王以外は、みな挑戦者??

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たくさんのカメラに撮られ‥どんなところに掲載されたのかな~

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写真は、村岡ファームガーデンへ立ち寄ったときに、トイレに貼ってあったイベントレポートのポスターからのものです。(以下の話とは、あまり関係がありません。。)

小代に住むようになってから、村岡にある生鮮食品ショップやホームセンター、コンビニをよく利用することもあり、村岡方面へちょくちょく車を走らせます。

しかし、その途中にある射添エリアについて、まだ接点がありませんでした。

【2010年8月6日】と【2010年9月1日】の2回にわたり、
のぶよしさんという方が、射添地区について色々と教えてくださいました。

射添(いそう)地区は、村岡区にあります。

村岡区は、小代区のお隣りの区で、旧村岡町。もともと「兎塚」「村岡」「射添」の3つの村だったものが集まって町になっていたらしいです。(つい近年まで、兎塚、村岡、射添の3つの中学校があったらしいです。いまは一つに統合され、村岡中学校になっているそうです。)

「射添」は、3つの地区のなかでは、いちばん小代寄りです。小代(上流部分)から、香住(河口部分)にむけ、矢田川沿いに走ってゆくと、おのずと射添(中流部分)を通ります。

「村岡」と「兎塚」が、長いトンネルを抜けた向こうにあるのに対し、「射添」は、トンネルよりこちら側にあって、小代と隣接もしています。そこで、どうして「トンネルより向こう組」と、「トンネルよりもこちら組」の2つのまとまりにならなかったのだろう? という疑問がわいてきたりもします。‥と思っていたら、ある時期には、「小代」と「射添」がまとまった行政単位をなしていたりもしたそうです。けれども、歴史をさかのぼったときに、それぞれの地区の成り立ちの違いの部分も大きいらしく、分かれていることも自然なのだそうです。

のぶよしさんは、小代でお仕事をされていますが、お住まいは射添です。射添のなかでも、和佐父というところらしく、棚田(「西ヶ岡の棚田」ともいう)が有名なところらしいです。棚田でつくったお米がどんなものであるかを教えてくださいました。

その他、普段、小代から村岡へゆくときの、川沿いの平坦な道から出て9号線を通ってゆくルートとは別に、小代のなかの「水間(みずま)」「猪谷(いのたに)」「神場(かんば)」というところの山をのぼってゆき、「一二峠(ほいとうげ)」という峠を越えて、村岡へゆくルートがあることなども教えていただきました。「萩山」「板仕野(いたしの)」方面へ行くことができます。このルートについて教えてもらったことは、のちのち小代で暮らすなかで、糧になりました。‥じつに多くの人が、このルートを通じ行き来していた頃の記憶をあたためてらっしゃいました。「霊験場がありました。」「養蚕農家の家がありました。」「峠にへだてられた両斜面の集落どうしで、交歓盆踊りなどの行事がありました。」‥

/////////////
ところで、のぶよしさんが、地区のことを語るときに、郷土愛というものを感じました。

ひとつひとつの話は、「ここはこんな地区です」「歴史的にこんなでした」「地理的にこうなっていますね」「産業的にこんな具合です」といった事実のお話です。ですが、のぶよしさんが伝えてくださっていたのは、お話のなかで、ひとつひとつの事実がどうこうである、といったこと以上に、「郷土を愛していれば、これこれの話がおのずと湧き出てくるもんだよ」ということだったのだなぁ、と思いました。

そして、自然なことであるかもしれませんが、郷土愛は、ある程度、よそ者(他地域から来た人)とのあいだでも、分かち合えるもののようです。この時に、私は、人々の抱いている郷土愛のことを意識するようになって、以後、(小代で) 出会った人々が、色々な話をますます多く聞かせてくれるようになったような気がします。(毎日のように、色々な方に話を聞かせてもらう生活となりました。メモをとるのですが、それをパソコンへ入力する作業が追いつかなくなります。)

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さてそれで、そんな、村づくりを愛するのぶよしさんが、職場の人との会話のなかで、こんなことを言っておられました。「地区の消防団での活動を大事にすることは、村づくりの秘訣のようなものかもしれない。」「(青年団のようなものに近いが) 消防団には、地区の若い人も年上の人も顔を出すので、世代を越えたつきあいの場になる。」

この話は、非常にインパクトがありました。

その後ほどなくして、自分の担当集落(実山)での、消防分団の活動の状況について、取材をしにゆきました。すると? ‥おおお!

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2010/11/14

≫ OSJ 氷ノ山山系トレイル - プチ実況

【2010年11月14日】
今日は、住んでいる新屋地区での消防団関連の作業に参加してきました。
作業の終わり頃、ランナーの姿がみえ、応援する声援がきこえてきます。
なんでしょう??

今日は、ロングトレイルのレースが開催されていて、小代のいくつかの地区がコースのなかに入っているとのことでした。
今年の1月を皮切りに、日本のあちこちで開催されてきたレースの10回目(最終戦)が、ここ氷ノ山山系エリアでの開催だそうです。
氷ノ山は、このあたりでは一番大きな山ですね。雪が降るのも早かったらしいときく。
今回のコースはきくところによると、高原をなぞる道あり、山岳の林道あり、渓谷へと下る道あり。ゴールは、村岡区の兎和野高原。
80km の、高低差もあるコースを全部たどると、所定の時間内にゴールに着ける人は全員ではないだろう、と予想されているそうですよ。

[ 実況としての記事を書こうと決意したので、終わる前に書かなくちゃ≡3 ]

●コース全体の終盤部分に。
新屋地区は、上の「とちのき村(南部高原)」のところにチェックポイントがあるらしく、そこがゴールの8km 手前。私のいた、家の近所は、そこよりさらに 4km 手前のところです。地区の交流センターの手洗い所を、大会向けのトイレとして利用してもらっている様子でした。

●早朝に出発、深夜12時までにゴール!
さて、この新屋地区のチェックポイントが、21時になったらクローズになる、との話をききました。つまり、選手の皆さんは、21時の時点で新屋地区にたどりついていないと、それより先のコースを進んでゴールインができないわけです。

●夕方の時点で。。
夕方17時18時の時点で、大会参加者(全体で270人ほど)のうちの、25人くらいしか、まだ新屋地区へたどりついていませんでした。

●20時の時点で。
新屋地区の通過者が108人。(山の上の「とちのき村(高原)」の通過者が70数名。あとの40人ほどが、まだそこへ向かってあがる山道にいるわけです。)
21時でしめきられる、というのに、まだ半分にも達していない、というのは、すごくないですか??

●新屋から「対岸」をみる
ランナーは、夜になると、ライトをつけて(額や頭上)走っています。
このライト、最近のものはLED でできていて、単4電池1個でも、ものごっつ明るく光るらしいです。矢田川の谷をへだてて、「対岸」の佐坊/貫田側をみますと、見えるんです! ランナーが、まだあんな遠くの山の上の林道にいる!

●「あのひとたちは、21時までにここにたどりつけない!」
大会のチェックポイントどうしの距離や、トレイルランの走者の走る速さに詳しいひとの話では、≪あの「対岸」でLEDを光らせ走っている走者の方たちは、あと1時間では、こっちには来られないだろう(谷をすぐに下っている道ではなく、林道のコースが、かなり長くとられているらしい。)≫とのことでした。

●トレイルの距離が80km ではなく、90km くらいあるのでないか、との噂。
途中の、佐坊のチェックポイント(「対岸」の側。氷ノ山より、峠をこえて入って来たひとたちの最初のチェックポイント。最初の小代内スポット??)での話では、「65km のチェックポイントなのだが、75km くらい走っていないとおかしい。(かかった時間や、GPSの値などを考えると)」という声があがっているそうでした。「10km の差は大きいですよ!」との声も。

●残る20分ほどです。皆さん、がんばって、新屋地区を通過してくださいね!

OSJ氷ノ山山系トレイル50マイル
http://www.hachikita.jp/osj.html
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OSJ - Outdoor Sports Japan
http://www.outdoorsports.jp/
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2010/10/19

009.牛を育てていたらしい

【2010年7月13日≫7月14日】

新屋地区でお借りすることになった家にて。お掃除会のとき、ある一間を指し、「その昔ここには牛舎があったのだよ」と教えてもらいました。

この家の建った頃の物価について、普通に就いたお仕事のお給料、酒づくりの出稼ぎに出た場合の収入、そして、それらと比較した場合の、牛1頭が売れたときの値段、と順序だてて、家主さんは話をしてくださります。

それで、私も想像をふくらませます。「そうか、あの頃、ここに牛がいたのかぁ。」

「牛を育てる」という営みは、小代にすまう人々の生き方の枠組みを大きく決定するものでもあったそうです。小学生の自分には、学校へ行く前に、牛を連れて山道をあがり放牧場へゆき、学校が終わると、また牛を連れて戻ってくる、というのが日課なものだったというお話を聞きました。仔牛として育つあいだ、ずっと急な山道を登り降りするので、牛の足腰は丈夫になり、将来的に肉づきのよい牛となるらしいです。但馬牛が、各地のブランド牛の元牛として重宝される背景には、そういった丈夫な仔牛づくりの秘訣も関係しているのだとか。

お掃除会の2日目、実山地区へも立ち寄りました。
この日は、実山地区の方何名かとゆっくりお話をすることができました。
お堂のそばへ行ったとき、向かいにある牛舎の表にでてきていた牛が、こちらを見ている様子でした。

それで私も、牛に挨拶しました。

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「大久保といいます。今後何度も現れることになると思います。‥よろしくお願いします!」と。

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2010/09/21

000 - パーンッ (3/3)

〔‥つづき〕

たとえば――同じ9月7日の出来事を拾ってみましょう――ためおさんという人から、「明日台風が来るらしいから、今日じゅうに自分は稲刈りをしてみようと思う。けれども、稲刈り機の調子がどうも悪い」という話をきく。その後、きちろさんという人の家を訪問すると、きちろさんは留守で、奥さんいわく「ためおさんを手伝いに出かけましたよ」。ところが、その後、きちろさんと会い、≪きちろさんの稲刈り機も調子が悪かった≫ ということを教えてもらう。〔中略〕 最後に、ためおさんと、正常に動くコンバインをのせた車が、区長の田んぼの横を横切ってゆき、途中まで刈ったまま放置されていた田んぼに到着する。サルを見張っていた区長や私のほうでは、その光景をみて、「ああ、ためおさんのところ、結局うまくゆきそうな様子で、よかったなぁ」と胸をなでおろす。また同時に、集落内にある、メンテナンスの必要な農業機械についての情報も共有されている。‥と、こんな感じ。

この時。。 実山流の「口コミ」での情報伝播の様子がわかってきた、という感覚と、サルが登場して「パーンッ」という音とともに、町の中の情報ネットワークが揺さぶりをかけられているのをみた気がしたこととで、何か忘れ難い時間を過ごしている、という心持ちになった、というわけです。

**
ということでございまして、
長々と書いてしまいました。
このブログでは、おもに日記スタイルで、集落サポーターとしての私の活動や見聞をつづってゆこうと思っております。
また、イベントなどの告知や、なにか呼びかける投稿もさせていただくことになると思います。実山へ行ってみよう、というひとや、私に会いに来てくれるひと(笑)、大募集です。

今日までのあいだ、記事をアップロードして来なかったこともあり、リアルタイムの情報発信と、過去の日付の日記のまざる面がでてきます。また、「です・ます」調の展開と 「だ・である」調の展開との両方を共存させる見通しです。ご了承くださいませ。

実山で、がんばりたいと思っております。
どうぞ、よろしくお願いします!

人・まち・住まい研究所 大久保 祈

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000 - パーンッ (2/3)

〔‥つづき〕

結局その後、かおるさんは、「まだ熟れてないけれども、盗られるよりはましだろう」と、玄関前のかぼちゃを全部とってしまった。一方、(※別の話が交じります→) ためおさんは、無事、正常に動くコンバインを引き連れて上の田んぼへ上がってゆき、私は、はるこさんより、翌々日の稲刈り作業のお手伝いを頼まれ、実山の日は平穏に暮れた。

*****
申し遅れました。大久保 祈 (おおくぼいのり) という者です。
私は、実山集落のサポーター(支援員)として派遣された人間でして、
直接にこの地の人々をお手伝いして活動します。
それと同時に、さまざまなかたちでの報告や情報発信をすることになっておりまして、実山という「モデル地区」で私が見聞きしたこと(サポーターとしての体験)のうえには、県のひと(地域振興課)や私の上司(集落アドバイザー)の眼が注がれているそうです。必要な場合に私の動きの方向づけや軌道修正をしてくださるでしょうし、諸氏の今後の取り組みの参考材料となるものがでてこないだろうかな、と期待もされているのでしょう。

ブログ記事をつづることも、その活動のひとつです。

9月7日の出来事を最初に書いてみました。
その日、私は実山集落に住む方々の、稲刈りの予定をたずねようと、坂道をのぼったりおりたりしつつ、何軒か家々をまわっていたのですが、その道中で嬉しいなと思うことがありました。

私がこの地に来てひと月ほどが経ち、≪少しずつ、この集落のひとにとって私が「顔なじみな存在」になってきている≫ ということが背景にあります。(サルたちほどでないにしても!)
一方、私のほうでは、集落内をくるくるまわってゆくあいだに、「行き交う人々が、自分や他の人の動きを口頭で伝えあいながら、集落内で進行中の出来事を共有している」ということが、だんだんとわかってきました。

私が情報の聞き手となり、その情報を(私が見聞きしたことをつけ加えつつ)他の人へ伝えると、そのことによっても、出来事の共有がひろがってゆく。また、私自身の動きも話題のひとつとなって、伝わってゆく。そんななかで、実山での出来事を内側からみている、という感覚が生まれてきたんです。
もし、「コミュニケーションってそういうものだよ」と言われれば、そうかな、と思うかもしれませんし、当たり前のありふれたことであるかもしれません。ですが、「実山の地形の新鮮さ(:またあらためてご紹介しましょう)」とともに、私にとっては新鮮に思われること続きで、嬉しい感覚でした。

〔つづく‥〕

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