01. 実 山 日 和 について

2010/12/01

050.PTCA活動の一環で、吉滝キャンプ場へ。

【2010年11月3日】
親と教職員と子供たちと地区の人々とが交じり交じりになって、活動をしてみよう、という取組みがありました。

今日は、まず、ジオパークとして山陰海岸とその近隣区域をみたときに、どんな楽しい発見があるか、を観光振興にかかわる人がおもしろく話してくれました。

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お昼に、「山くじらの汁」をいただて一服をしてから、
吉滝キャンプ場からみえるものについて、紹介をしてくださいました。

実山からは、きくおさん、ひでおさんが参加されていました。
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おやおや!
今日は風邪をひきかけてしまっていて、寒い、と言っておられたきくおさん。
あんな遠くに。どうされたのかな。

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以前より、「眺めがよいから行ってみろ」と言われていたのですが、
こんなんだとは想像ができませんでした!

ここからだと、放牧されている但馬うしも、黒い粒々のようにみえます。

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実山集落もみえました! (クリックすると拡大できると思います)
左にあるほうの、右上にむかってのびる細長いやつです。

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いまではすっかり忘れてしまっているのでしょうが、私の小さな時分にも、
こうやって話を聞きにいくような場があったのかもしれないな、と思いました。

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「ふるさと」を知ってもらうための取組みと、「ふるさと」を守るための取組みと、「ふるさと」を好きになってもらうための取組みと、どれもを、バランスよくできるといいですね!
というお話もありました。

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雲が、ものすごい速さでうごいていました。

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028.かおるさん (2/2)

≪かおるさんの話≫
(聞き手= いのり)

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――田んぼのなかから、出てきたものを祭ったんですか?
そうだ。偶然拾われて見つかったものだったが、ちゃんと祭るようにした。

――アサクラニュウドウタカキヨ(朝倉高清)?
追っ手を逃れて、あすこのほらあなに隠れとった。何年ものあいだ。奥は這って行かないと入れないような洞窟だ。
その高清は、腕力のありそうな人だった、関東のほうで人々を困らせとった白いイノシシを退治するようにいわれ、退治をしたら、追われる身ではなくなり、褒美までもらった。

高清のいわれのもんはあちこちに残っておる。
八木のところにある城もそうだ。
七美郡誌とかの記録から色々なことがわかる。
平成3年から9年のあいだ区長をつとめたが、そのときに、町外視察というものをするということで見に行ったりした。

兄貴が亡くなって初盆だったので、養父市関宮の三宅というところへ行ってたのだが、そのときに、久しぶりに朝倉高清のことを話に聞いた。
内倉大明神。
それで、八木のお城を見に行った。石垣しか残っておらぬが。自分は石屋(石切り)の仕事をしていたこともあるので、石垣があるなら、見たいと思う。

――牛を飼っておられるようですね。
県の指定牛
4年間 1等 品評会 9月と10月
温泉町まで連れてゆく。
子牛が84万円。
大型の牛が好まれる。かなわんわ。草をよく食うし。

9年前に家内が亡くなって‥もともと家内のほうが牛のことはよく知ってやっていた。

冬場、酒屋に出稼ぎにゆくあいだ、みな家内が牛のことをしていた。

家内が亡くなったときに、毎日どうやって過ごそうか、と考えていた

好きなことはある 木彫りの彫刻

――獅子舞の獅子を作っておられたようですね。
能面もつくるし、色々なものをつくる。

温泉町の神楽から3人来て、ししまいをやってくれんかのう、と。

先生はある。京都の祇園の。
生木(なまき)はあかんで、6月にとった木を8月まで乾燥させて。

教室へいったら、掘り終わった木が余ってて、ただではあかんから、値段をつけ1万円で買って、8ヶ月かかってつくった(獅子)。

先生のは大きい、これは6cm小さい。
和田山もほしいと言ってきた。

播州姫路のアオクラ、ニイという駅のところへ‥

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この2つの獅子を比べてみよう。
僕のつくったものは、鼻のしわがある。こちらはない。
僕のつくったものは、目と目のあいだが少し離れて開いている。こちらは、目と目が寄っている。‥どうです、鼻のしわと目の間隔をこうするだけでも、すごみがでてくるでしょう?

赤に黒を混ぜて塗っているところ。
また、赤を多くして、みかん色に塗っているところ。うるしをまぜて塗っているところ。(‥)

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(箱から能面をだしてみせてくれるかおるさん)
――ありがとうございます。
平野の老人会で披露をしたことがあった。
お面だけを貸して、服は各自で持参してもらい。

能面は、25点ほどある。豊岡にある文教府へ(展示出品)出そうかなぁ、と3点選んだ。

ししくち、おおべしめ、おん‥

9月、木の殿堂、出さにゃーと思うとった。

金賞とか銀賞。


(奥から、『能面打ち ――堀安右衛門の作品と技 (上)』(淡交社,2002年4月)という、大判の写真で能面の細部をよく伝える図録がでてくる。 )
――かおるさんの作ったこのお面は、ここの「中将」と紹介してあるお面なのですね?

そうだ。「中将」は、公家だ。「今若」というのもある。これらは、年齢の違う人々だ。雰囲気も違うだろう? [※いちばん表情が面白いなぁ、と思ったのが、公家の若い人の面だったが、写真には、撮らせてもらいそびれました。]

――そうですね、こちら(今若?)は、ちょっとみずみずしい感じがしますね。隣のは渋みというか味わいがありますね。その次のはかなりお年寄りの顔だちですね。

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木のうえに、下塗りは10回
ペーパーをかけて
木綿の手ぬぐいで水で拭いて

30個つくって出荷しただ。

――能面づくりを始めてみよう、と思ったきっかけは何かあったのですか??

家内が亡くなった翌年に、篠山の薪能を観に行った。篠山の薪能は有名でな、家内が何度か行きおったから、自分も行ってみようと思ってな。
へしたら、そこの能は、毎年、古い面をつかって上演しとる。(‥)

八鹿のペアへ行ったら(‥)
つくなみの森本レストラン(‥)

女面をこしらえるときは、傷がいかんようにつくる。
男面は、傷をこしらえてつくる。
煙突のススを煎じて、そのススを塗ったら、この般若の色になる。
ほんとうは、(京都)太秦(うずまさ)のようなところで、色を買ってこないといかん話だ。300cc いくらいくらとかで。非常に高価だ。
(自分なりに、色になるものを使ってぬれば、塗料を買いに行かなくてもできるものだと考えて、やった。)

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平成13年より、(‥)
(奥の山道??) 道がぬけたのを、180万円で舗装をしなおした。

――石屋をしていたとお話しされましたね?
石垣を積む、石積みの仕事や、石割りの仕事をしとった。
前の石垣は僕が積んだんだ、ぜんぶ。
城の石垣が好きなもので。

ごつい石も、割るやりかたがある。
火薬をつかって割るというのもあるが、そうでなしに、矢で。やじりで。穴を。
‥そういう技には、これこれのやりかたとかコツとかを知っていないとできない。基礎があるわけだ。

石屋
げんのう
しめれと しめつける、3倍の力
開こうとするよう、横をたたいてやる。

――能面づくりにも、コツとかがあったのでしょうか?
3年間、じーっと見て学んだ。自分で掘るということをせずに。

運送会社に勤めとったのをやめて、何かしなくちゃ、というときに、大谷の文房具屋へ行った。
筆ペンを20本買ってきて、
春から秋までの時間をつかって、上達せんだらやめると思い、やりはじめた。
そして次に、今度は、筆ペンでなしに、筆を使うようにした。

フォームというものがあるとわかるようになった。

酒づくりのときに、「ええコウジを出すなぁ」と言われることがあった。40度では温度が高すぎる。37度とかの、ちょうどいい温度に管理をしてやらなくてはいけない。コウジがちゃんとできてなかったら、いいお酒にならない。

何をやるときも、フォームの基礎というものが、どこにあるのかを探りつつ取組むようになってからは、色々なことを身につけるのが楽しくなってきた。

また、「こまけぇこと」(こまかなこと)に気をつけて取り組むのが、自分のスタイルとなってきた。
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能面づくりは、まだまだ色々なことを学びつつ取組んでいるところであるが、色つけの作業については、(こまかなニュアンスをだした表現が)だいぶできるようになった。

――能面づくりには、型をこしらえたり、木を彫っていったり、など色々な作業があるなかで、「色付け」がある意味、得意分野だ、ということですね?

「こまけぇこと」は、○○さん[かおるさんのこと]にゃとてもかなわんわ、と先生に言われるまでになった。

(お礼を言って帰ろうと玄関へ出たときに、ぞうりが目にとまる。)

猿尾滝のぞうりづくり。
名物にしようと、30足つくっただ。
みんな売れたって。

わらじとつまご。雪の中で歩くときに使うやつだ。

ぞうりづくりを教えてくれ、とよく来る。
豊岡からも来るし、いわゑさんも来た。

背丈の低い人向けに、ぞうりづくり用の台もこしらえた。

(ぞうりづくりは、ここらへんでは、冬場に、男たちが酒づくりの出稼ぎで出ているあいだ、残った女のひとが、冬の間、わらを使っておこなう作業だ、ということのようである。牛を飼っているかおるさんは、奥さんが亡くなったり、酒づくりに行かなくなったりしたことを契機として、ぞうりづくりの名手となり、他の人に伝えられるくらいになった、ということのようであった。)

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[話し始めると、とまらなくなり、2時間ほどのあいだ、ひと息にお話をされました。]

かおるさんに限ったことではないとも思われるのですが、話をしているときに発される「パルスのようなもの (リズムや抑揚、脳内発火の火柱のようなもの)」を受けとめるのが、面白いな、と思うようになりました。その最初が、かおるさんのお話を聞いたときだった、というわけです。

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2010/11/30

028.かおるさん (1/2)

【2010年9月7日】

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サルに持っていかれないよう、まだ熟れていないカボチャをとってしまいました。

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堆肥を運びだしたり、(牛のために)草を刈ってきたり、大忙しです。

**

【2010年8月7日】

実山地区の地図をつくって、集落内のあちこちを歩いてみはじめていた頃のこと。

畑で機械を動かし作業中のひとをみつけ、お話をきいてみることにした。

なんでも、昨日が初盆だというところを訪問した先(養父市)で、少し寄り道をして八木城跡へゆき、石垣をみたという。

自分が、過去に石屋(石工)の仕事をしていたということもあり、石垣じたいが好きで見たかった、と語るかおるさん。そしてその一方で、八木城は、実山地区に伝承のある朝倉高清(実山の奥の山中にある洞穴で数年間暮らしていたという、平家の落ち武者)にゆかりの城だった(実山エリアを拠点のひとつとして再出発した朝倉高清の一族のなかで、八木[やぎ、現養父市八鹿町の一地区]と土田[はんだ、現朝来市和田山の一地区]へ移って但馬での繁栄の基礎をつくったものがいるらしい?)ということも思い起こしていたのだという。

かおるさんが、お話しをきかせてくれているあいだ、パルスのような揺らぎが顔にたちのぼるのを何度も見たきたした。話しをするなかで、ゆるやかな調子から勢いのある調子に変わり、記憶の大きな「幹」をつたって、別の経験談との共通の文脈ができ、他の話題へと自然に移ってゆく。聞いているこちらへも、かおるさんの脳内でたちあがる火柱のようなんが、伝わってくる。

《石屋という職業》 《牛を飼うこと》 《朝倉高清の伝説》 《ものづくりにおけるフォームの基本》 《奥さんの他界がきっかけ》 《木彫り細工》 ‥門垣馨さんのお話は多岐にわたり、長時間続く。

【2010年11月30日】
色々な人を訪問し、お話しをききにゆくこと。

聞き取りの作業がこの仕事のなかである種重要な部分を占めることになりそうだ、ということを最初に意識したのが、かおるさんを訪問したときであった。

私は全部を覚えきれないので、メモをとりながら聞かせてもらうことが多い。

集落サポーターとして私がこの地に派遣されるなかで、取組むべき事柄はいくつかの柱に分かれているのだが、≪集落での人々の日々の営み(いま何が起きているのか)について把握≫と、≪これまでの(昔の)人々の活動の跡がわかるもの(写真や記録)の収集・アーカイブ化≫という2つの柱が、その聞き取りの作業に関係がありますよ、とあさみさんに教えていただいた。

話を聞いているときのメモの内容も、生きた伝承・語られた記憶として、アーカイブ化の対象になるのだと考えればよいようであった。

しかし、ことは簡単ではない。話しがあまりにも生き生きとしている。
そのままではデータにならない、という気がしてしまう。「いや、そのままでいいのです」と言うあさみさん。

なにが難しく感じられるのか、あとになって整理をしてみた。そして、今の時点で、こうだろうな、という考えにたどりついた。

聞き取りの作業をして、そのあと、聞いた内容を他の人へ伝えようとするときに、どうしてもやってみたくなることが2つあり、ところが、その2つは、「アーカイブ化」の作業とは方向性が少し違うもので、「アーカイブ化」を主目標におく場合は、むしろ「やってはいけない」ことだ、と考えるくらいがよさそうなのだ。

どうしてもやってみたくなる2つのことは、どちらも、その、あまりにも生き生きとしている話しの魅力を、そのまま伝えたい、と望むことに端を発している。

1つは、話しをまるごと記録して、そんな話しの展開になった背景とともに、人に伝わるようにすること。‥ボイスレコーダーがあれば、あとは書き起こしをすれば、話しをありのまま収録できるように、人は考えるかもしれない。しかし、少し考えるとわかることなのだが、ただボイスレコーダーを前にぽんと置いただけで、人が話しをしてくれるか、というとそうではない。私は、たんなる聞き手という存在であるのだが、私が、ここに引っ越しをしてきて、生きて暮らしている、ということがあってこそ、引き出されてくる話しがある。この地に暮らすなかで見聞きしたものの話題が、話しをきいて相槌をうつなかで、おのずとでてくる。そのことによって、私は、人の話のなかにも住みに行っているのだ、ということであるのかもしれない。

つまり、ただ話しをきく、ということのなかにも、話し手と聞き手のあいだでの共同作業のような部分があり、その部分をうまく拾い出せれば、生き生きとした話しの魅力が伝わる手がかりになるのじゃないか、と考えられる。話し手の話しが次々とふくらんでゆくときのわくわくするような感触が入ってくる。したがって、話しが始まってふくらんだきっかけや、話しの流れの緩急のようなものを描写することを、目標に含めるべきであるように思われてしまう。

ところが、レポーターとして未熟な私にとり、これは、「やってはいけない」ことなのだ。「描写」は、ほどほどにとどめておくべきであるようなのであった。

それからもう1つ。それは、私自身が、語りべになろう、とすること。この地に暮らし、里山での営みにふれ、作業も一緒にさせてもらうなかで、こういうことの話がしたくなる、という動機そのものが、私自身のなかにも生まれはじめる。「なに、それは、いいことではないですか。」と突っ込みをいれるあさみさんの声。そうです、これはこれでよいもので、あたためてゆこうと思うものであります。自分自身が語りべになることのメリットは、生き生きと語られている話の魅力を、描写によって人に伝えるのでなしに、自分自身がその「語り」を生きたものとして提供することで、人に伝えられる点です。しかし、少しやってみてわかることですが、これは門下生となって修行を積むような一面のあるはなしで、つまり、80歳の人が語る生き生きと語る話は、80年の生きた経験があってこそ出てくる波動や緊張感のようなものにささえられている。

つまり、私なりに経験を積んでゆき、そういった語りができることを目標に生きてみる、ということは、かまわないのであろうが、スーパーものまね師(模倣の達人)でもない私は、語りそのものをいますぐ自分のものとして、披露し、他の人にも伝わるようにする、という道をきりひらく前に、今年度が終わってしまう。その意味で、今年度に終えてしまうべき作業とは方向がずれている。

はてさて。
2つの「やってはいけない」(極端な)ことを、明確にして、脇に置こう、と決意をしておけば、なんとか「やるべきこと」にたどりつけるだろうか??

そのようなまわり道をしながら、かおるさんの話(の記憶と、そのときのメモ)へとかえってゆくいのりであった。

〔つづく‥〕

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2010/11/23

021. 「実山ってどんなトコ?」

【2010年8月5日】

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実山地区の奥のほうから振り返った眺め
(写真の水平が少し傾いていますね、車の荷台から撮ったためかな。。)

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奥の田畑は、段々になっている~♪
(あれ、この写真も斜めだ。私、姿勢が悪いのかな。。)

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2010/10/29

012.目の前で図面が書かれている。。

【2010年7月16日(金)】
わたしが、研修期間(小代へ引っ越すための準備期間)で、神戸の深江ラボへ通っていたときのことです。

度重なる電話での確認事項のあと、建築士の小林美輪さんが、私の座っていた後ろの作業台のほうへやって来られ、図面を書き始めたのです。

すらすらすら~ っと、ペン先が流麗に流れていました。
こんこんと、あふれ出る泉のように(!) 設計図ができあがってゆきます。

ほどなくして、わが社の代表社員、浅見氏も図面を書き始めました。
やはり、すぅーーっと線が引かれ、スペースが区切られ、窓や出っ張りや収納やもろもろの工面が、あっという間にこしらえられます。

(作曲家モーツァルトを題材にした映画のなかの、「頭の中ですでにできあがっている新曲を五線譜に書いてゆくところなのだが、よどみない展開に、ペン先が追いつかない」といった場面を連想してもよいかもしれません。)

‥わたしは、建築設計の仕事について多くを知らない者でして、作業の前後関係や、各々のプロセスの役割などについてもわからないので、こういった把握は的を得ていないかもしれませんが‥
目の前で、「価値の産み出されるもとになるもの」が次々に姿をあらわしてくる現場をまのあたりにしているような心地となり、‥いや、図面じたいがすでに価値をもっているはずです‥ ものすごくテンションがあがりました。

基本構想の下書き図面であったかもしれませんが、ものの10分もしないうちに、出来上がりました。わかる人がみれば、ばっちりと考え抜かれた構成関係がそこかしこに顔をだしたもののはずです。

下世話な表現をしますと、その10分ほども経たないあいだに、「チャリンチャリンチャリンチャリン‥」と、(その図面そのものやそこに書かれた構想をもとに出来上がる建物のために支払われる)数千万円にものぼるお金がスキャンされてゆくようなイメージです。

どんな職業であっても、そういう瞬間(準備期間や構想期間のあいだに積み重ねられた「動き」どうしがつながって、大きな動きが具現化してくる瞬間)がある、ということなのでしょうか。

「振付師がひと連なりの振付けを次々に編み出してゆく過程」。
「ニュートンの目の前で、木から、リンゴの落ちてくる瞬間」。
「鑑定士が、金額を言う直前(?)の、しばしの時間」。

そういえば、この日の前日(【2010年7月15日】)は、わが社のひとが設計を担当させていただいた「元町映画館」での作業のお手伝いに行っておりました。
「映画館づくり」という立場から見ますと、大きな動きが顔をみせる瞬間といえば、どんなところになるのでしょう。その土地が「Yes」と答えて、その場所が建設予定地になった瞬間でしょうか??  スクリーンと映写機が設置され、フィルムをまわして映し出す瞬間でしょうか??

元町映画館は無事オープンされたようです。(【2010年8月22日】) おめでとうございます!

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さて、その深江ラボへ行きますと、
≪但馬で何が起きているか≫
について、その一端がわかるようになっていますよ。
但馬各エリアにある集落で実施されたイベントの広報チラシや、会議録などが、壁一面に貼られているんです。(丹波や神戸もあります。) それも、綺麗にデザインされた紙面ばかりです。

私も、その後何度か、他の地域での集まりや行事のお手伝いで参加をさせてもらうことになりました。

ここ小代で、実山で起きていることについても、私の身体を通過したものについては、≪但馬での出来事≫として、浅見氏の耳へ届くことになっています。(日報を書いております。)
浅見氏は、「ぜんぶ」知らせてください、と言わはるのですよ。「ぜんぶ」!

作業のあいまに、ぼぅーっと山林を眺めているあいだに思いついたこと(多くの場合は、雑念であるのですが)なども「ぜんぶ」!?

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実山で、お昼間、山を眺めていたときに、ふと、「但馬山林マイスター」という言葉が、こだまして何度も聞こえてきました。

『銀河鉄道の夜』の主人公ジョバンニのもとに届いた、「銀河ステーション」「銀河ステーション」‥というつぶやきの聞こえたのが、こんな風だったかどうかは、私は知りません。

「但馬山林マイスター」とは、但馬の山林のためにしてやれる(あらゆる)ことのデザインのできる人。山林の発する声を「きく」ことができ(小さな叫びも)、それと、人間の都合とをすりあわせて、按配のよい作業立案などができる。

但馬に住むひとのなかには、山林を愛する人も沢山いるようです。ある人が車で案内をしてくれつつ、山林率(その土地のなかに山林の占める割合)や、自然林と人工林の比率などの話をしてくれた(【2010年8月6日】)のですが、山を指さして「あのへんはー、、"87%"だ」のようなしゃべり方をされていました。数字をいうまでのあいだに、ちょっと「間」があったのです。私は、つい、その"87%"というのが元々その方の頭に入っていた数字ではなく、

≪いまこの場で、目で見て、何パーセントであるかを算定している≫
のでないか、と錯覚しそうになったのです。

その記憶があったせいでしょう。

「但馬山林マイスター」とは、そういう人なのです。(どんな人だというねん)
もちろん、その資格をとれるためには、実地の経験につぐ経験、修行につぐ修行を経てこなければなりません。
‥あ、「おことわり」するのが遅れました、そういう職業が実際にあって紹介している、というわけではなく、私の耳にこだましていた譫妄(せんもう)走る想像のなかのお話です。

  • ぱっと山林をみたときに、間伐を必要としているスポットを次々に示してゆく。
  • 「ここは、集落のほうへ、林が迫りすぎていて、動物が出やすくなるから、この間は切りましょう」とかの判断も含められる。
  • それで、伐採した木で焼肉小屋をつくり、そこへ若者を通わせつつ、山の守(もうり)もさせる。
  • どの地点へ行って、どの角度からみたら絶景だ、とかも、山林をみた瞬間に言える。
  • 紅葉したときにどんな色になるかを、山々を描いた日本画をもってきて、「こんな色になるでしょう」などと示せる。
  • 但馬の写真を写した、どんな断片的な写真をみても、それがどこの山の林であるかが、すぐに言い当てられる。

そんなひとがいるといいなぁ~。

試しに但馬で撮った写真をランダムに1枚。「これはどこでしょう。」
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――(答えて) 実山。 ‥うしろで「チャリン」(小判が一枚) 【2010年8月6日】
――その隣のエリアのところにお堂があるようだが、土台部分が傷んできておるようで、治さなければならないでしょうな。 ‥「チャリン」「チャリン」

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あぁ、そういえば今日(【2010年10月29日】)、昼間にいったん家へ戻るとき、新屋で、スギの木を切っている人がいるのをみました。お話をきけばよかった、とあとで思いました。

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会社の人と一緒に立ち寄った、養父市小佐地区のサツマイモ畑。【2010年7月13日】
神戸の方々が農作業体験に来られ植えたそうです。後日、イモ掘りにも来ますよ!

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2010/09/26

001.小代に住む

【2010年6月28日】
実山は、「小代(おじろ)」のなかの一集落。
小代に住むことが決まりそうだった。

小代は、兵庫県北西部、日本海に注ぐ矢田川のいちばん上流部分の町。矢田川をはさむ両側の斜面、いわば「ひとつの谷」のぜんたいが小代の町だった。
川沿いの道に面して、集落がいくつかあるが、斜面をずっと上がったところにも家々がある様子。斜面に住むのは、どんな心地だろうか。
「斜面に住む」と言って私が連想するのは、神戸の山手や甲山(兵庫県西宮市)の家々。あるいは空堀商店街(大阪市中央区)。。「自転車だとしんどい、というかムリだろうなぁ。」
矢田川をずっと下ると、「香住(かすみ)」という漁港の町があり、その隣の浜坂と並んで、松葉カニなどで有名らしかった。「香住や浜坂だったら知ってるわ」「行ったことあるで!」という友達が何人かいた。

小代に隣接して、「村岡(むらおか)」という町がある。村岡なら、私も知っている気がした。高原があり、スキー場があり、放牧場があり。学生時代に来たことがあった山麓は、そのさらに峠を越えた養父市側だったかな??  とにかく、ハチ高原やらハチ北高原やらには、親近感があった。早速、小代へ一度連れていっていただけることになった。嬉しかった。[※鉢伏山の北側山麓にハチ北高原があり、香美町(旧村岡町)、南側山麓にハチ高原があり、養父市(旧関宮町)、ということのようです。]

小代への遠足(6月28日)の途中、村岡の道の駅に立ち寄った。但馬牛をつかった数々のメニューを提供する食堂があった。一品を食べさせてもらった。ファンになった。
但馬牛のファンは何人くらいいるのだろうか??
兵庫県北部を「但馬(たじま)」と呼ぶらしく、但馬といえば、城崎温泉や出石そば、湯村温泉や神鍋高原なども含む広い範囲を指すようだった。豊岡盆地や生野銀山も含む、ということで、相当広い。しかし、そのどれもが、私の住む大阪からみると、かなり離れたところにあった。

「小代(旧美方町)」「香住」「村岡」3つの町が合併して「香美町(かみちょう)」になったらしく、香美町のパンフレットは、バラエティに富む3つのエリア(谷!山麓!港町!)を紹介するもので、なかなか楽しかった。

兵庫県はデカい。
ひとつの谷でひとつの町(小代)、というのはかわいらしい。

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夏の小代(おじろ)は、こんなところです!
(手前・矢田川にかかった橋、河川敷部分に棚田)

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2010/08/17

ブログ「実山日和」をスタートします

合同会社人・まち・住まい研究所では、兵庫県の小規模集落元気作戦による依頼を受けて、兵庫県内の集落に、集落元気アドバイザーとして通っています。
このたび、緊急雇用事業の適用を受けて、香美町小代に事務所を構えて、ここに大久保祈さんに住んでもらって、集落支援のお仕事をしていただくことになりました。

ブログは基本的に大久保さんが書きますのでどうかよろしくお願いいたします。

あ、そうだ。タイトルの読みは「さねやまびより」ですよ。念のため。

香美町小代区実山(かみちょうおじろくさねやま)の集落サポーターとして出向いていることから名付けたものです。

人・まち・住まい研究所 浅見雅之

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